追放された調香師の私、ワケあって冷徹な次期魔導士団長のもとで毎日楽しく美味しく働いています。

45.星夜の誓い

 ネストレの目覚めを聞いた一同は歓喜し、すぐさま宴を開いた。
 長閑で静かな地方都市が、珍しく賑わう夜となった。

「ふぅ、抜け出せた……」

 フレイヤは食堂から出ると、安堵の息を吐いた。慣れない宴から抜け出す頃合いを見計らっていたものの、なかなか出られなかったのだ。

 食堂ではまだ、魔導士と騎士たちが酒を飲みながら歓談している。楽しい雰囲気は好ましいが、彼らとはまだ知り合ったばかり。いかんせん気後れしてしまうのだ。
 
 階段を上がると、廊下は窓から入り込んだ月明かりに照らされている。
 
「わあ、夜空が綺麗。王都よりよく見える」

 フレイヤは誘われるように窓辺に寄った。こつんと額を冷たい窓ガラスに当てる。

 王都は背が高い建物が多いため、空が遮られている。しかしこの町の建物は背が低いおかげで、星空をよく見渡せる。

「……あれ? あそこにいるのは――シルヴェリオ様?」
 
 シルヴェリオは宿の外で佇んでいる。月に照らされる横顔は端正で、青白い光を帯びているためか、神聖さを感じる。

(シルヴェリオ様も空を見ているのかな?)

 どうやら一人でいるらしい。上を向いているが、その視線の先にあるのは果たして夜空なのか。
 ここではないどこか――過去に想いを馳せているようにも見えた。
 
 ふと、シルヴェリオ様の顔がゆっくりと動き――フレイヤを見た。深い青色の目と視線が交わると、どくりと心臓が大きく跳ねる。

(も、もしかして、ジロジロと見ちゃったかな?!)

 驚きのあまり固まってしまった。視線も足も動かせないまま、ただその青い目に魅せられる。
 他の景色が全て取り払われ、シルヴェリオだけが視界を占めた。

 しかしシルヴェリオが先に動き、その膠着は解かれた。スタスタと早歩きで宿の中に戻ってしまったのだ。

(どうしよう……下の階に下りて、謝った方がいい?)
 
 偶然目が合ったと思ってくれただろうか。それとも、不躾に見つめられたと思っただろうか。
 
 いまだにドクドクと大きな音を立てる胸元に両手を添え、落ち着きなく右往左往する。
 
 すると階段を上がる足音が聞こえてきた。
 足音の主を確かめようと顔を上げると、また深い青色の目と視線がかち合う。
 
「シ、シルヴェリオ様……!」

 小さく肩を揺らしたフレイヤに、シルヴェリオはやや小さく頭を傾げた。菫色の髪が、肩口でさらりと動く。

「もう宴はいいのか?」
「はい、十分楽しみました。明日に備えて寝ようかと思っていたところです。シルヴェリオ様はどうして外に?」
「考え事をしていた。それに、俺がいると部下たちは気を遣うばかりで楽しめないからな」

 シルヴェリオはさらに歩み寄り、フレイヤの隣で足を止める。その手を窓ガラスに触れさせ――夜空を見た。
 
「外を見ていたのか」
「夜空が綺麗ですから。王都では建物の陰に隠れて、少ししか見えないので、こんなにも広大な星空を見られると感激しました」
「そうか……。俺はそのことに、気づきもしなかったよ。フレイさんには色々と気付かされる」
 
 空を見上げるのは、天気を知るためか魔物の飛来を探知するためだけ。それ以上見る必要はない。空から得られる情報は、それだけなのだから。

 しかし今はどうだろうか。フレイヤが綺麗だと称賛した星空の景色はシルヴェリオの目にも美しく映っている。
 たとえその光景が有益な情報を持っていなくても、見ていたいと思えた。
 
「第二王子殿下が目覚めて、本当に良かったです」
「ああ、これも全て、フレイさんのおかげだ」
「そ、そんなことは――」

 まさか手柄だと言ってもらえるとは思わなかった。褒められ慣れていないためか、嬉しく思う一方で、気恥ずかしくてソワソワと落ち着かない。
 
「フレイさんが作った香水で一時的に目覚めたネストレ殿下がヒントをくれたんだ。あの香水が奇跡を呼んだと言って間違いではないだろう?」
「そう……なのでしょうか?」
「もっと自信をもつといい。給料とは別で賞与を出そう。それと――」
 
 深い青色の目が、フレイヤの首元にある魔法石の首飾りを掠めた。
 一瞬だけ、シルヴェリオの口が堅く結ばれる。彼の脳裏に浮かんだ想いは言葉になる前に、頭の隅に追いやる。

 そうして代わりの言葉を舌に乗せた。
 
「……食べたい菓子があれば、何でも言ってくれ。必要なら店を予約する」
「い、いいのですか……?!」

 フレイヤは勢いよく顔を上げた。先ほどまでとは一転して喜色に満ちた表情をしており、若草色の目は星に負けないくらい輝いている。
 もしも彼女に犬の尻尾が生えていたのなら、ぶんぶんと振っていることだろう。

「もちろん。俺の個人的な感謝の贈り物だから、フレイさんが本当に食べたい物を食べてほしい」
「嬉しいです! どれにしようかな~?」

 フレイヤは両頬に手を添え、無邪気に微笑む。
 シルヴェリオはそんな彼女の幸せそうな表情を見た途端、胸の奥が軋むのを感じた。緊張している時と似て異なる、妙な感覚だった。
 掌を胸に当ててみると、いささか鼓動が早い。

 緊張が解けて疲れが押し寄せてきたのかもしれない。そう片付けるのだった。

「フレイさん」

 静かに、そして請うような声音で、フレイヤを呼ぶ。
 
「……初めて会った日は、君の気持ちを考えずに不躾なことを言って――悪かった」
「――っ!」

 シルヴェリオは美しい所作で頭を下げた。いつもはフレイヤがやや見上げていたというのに、今では見おろさなければならない位置に、彼の頭があるのだ。
 思わず、息を呑んだ。咄嗟には言葉が続かなかった。

「か、顔を上げてください。シルヴェリオ様が言っていたことは、間違っていませんので。ただ、あの時の私は受け入れられなかったんです」
「いや……香水工房を始めるにあたり、調香師について学んだ。それで、わかったんだ。たしかに職人の世界は、魔導士の世界とは違う。俺が言ったことは間違っていた」

 魔導士の世界に工房のような小さな世界は存在しない。だから職人の世界にある暗黙の了解がいかなるものなのか、想像すらできなかった。

 調香師たちは個別の世界――工房に属しているものの、各工房は一つの共同体のように繋がっている。中には大きな力を持つ工房があり、他の工房は彼らの顔色を窺わなければならなかった。
 大きな力を持つ工房は、貴族や商会との結びつきが深い。故に彼らの不興を買うと、材料の仕入れも香水の販売もままならなくなる。

 それはつまり、工房の破滅を招くのだ。
 
「そこに身分の問題が絡むと、俺がいる世界とはさらに異なる。俺はそれに気づかず、知ろうともせず、ただ自分の考えを君に押し付けていたのだと……気付かされたよ」

 シルヴェリオはフレイヤに手を差し出す。

「こんな俺だけど――末永く、よろしく頼む」
「す……す?!」

 まるで求婚しているかのようなセリフだ。
 フレイヤは唇で「す」を描いたまま固まる。

「どうした?」
「い、いえ! 何でもありません」

 もしも相手がパルミロなら、求婚のような台詞だと冗談めかしていただろう。しかし生真面目なシルヴェリオを前に言うのは躊躇われた。
 彼はいつだって、本気で言葉を選んでいるのだと知っているから――。
 
「こちらこそ、これからもよろしくお願いします。シルヴェリオ様の専属調香師として――それに、コルティノーヴィス香水工房の副工房長として、最高の香水を作っていきます」

 フレイヤはシルヴェリオの手を握り返した。
 




眠り王子へ贈る香り編 -結-
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