追放された調香師の私、ワケあって冷徹な次期魔導士団長のもとで毎日楽しく美味しく働いています。

53.イチゴの香りで捕まえて

 フレイヤとシルヴェリオとレンゾは、コルティノーヴィス伯爵家の馬車に乗り、平民区画の中にある高級住宅街へと向かう。
 広く色とりどりの花に彩られた庭園がある一軒家――フレイヤの家の前で馬車が停まった。

「立派な家ですね。庭は緑に溢れていて、妖精たちが好みそうだ」

 そう言い、レンゾは右手を宙に向けて差し出すと、掌の中に向かって微笑みかける。
 どうやら彼の掌の中に妖精が降り立っているようだ。工房でも時おり、レンゾが妖精たちと話している時にこのような仕草をしている。

「お二人とも、外は暗いので中にどうぞ」
 
 フレイヤは玄関の扉を開けると、魔法で家中の魔法灯に光を灯した。
 
「それではお言葉に甘えて、お邪魔します」

 レンゾがフレイヤに続いて家の中に入る。
 シルヴェリオは戸口で足を止め、ゆっくりと深い青色の目を動かし、周囲を見回した。
 まるで見えない何かを辿るように、宙を見つめる。

「……」
「どうしましたか?」

 フレイヤは立ち尽くすシルヴェリオに気づくと、台所へと進む足をくるりと回れ右する。
 
「俺たち以外の魔力の気配がある」
「わ、私たち以外の……」

 やはり何かが家の中に入り込んでいるらしい。
 それが人なのか、幽霊なのか。いずれにしても怖くて仕方がない。

「気にするな。ひとまずはケーキを食べよう」
「こ、この状況でですか?!」

 家の中に何かがいるのに、安心してケーキを食べられようか。
 まずはその何かを捕まえさせてほしい。
 
(シルヴェリオ様なら侵入者を捕まえる方を優先するはずなのに、どうして先にケーキを食べようだなんて提案するの?)
 
 真面目な性格のうえ、冷徹と称される次期魔導士団長だ。そんな彼が未解決の事件を放置してお菓子を食べようとするはずがない。
 
 しかしフレイヤの予想に反して、シルヴェリオは侵入者を探そうとする気配を見せない。
 それどころか、右手を軽く持ち上げると、ケーキの入った紙箱をフレイヤの目の前でふいと揺らす。
 
「仕事終わりにシャルロットを食べるのを楽しみにしていたのだろう?」
「そ、それは、そうですけど……」

 シルヴェリオが箱を動かす度に、甘いイチゴの香りがふわりと漂う。
 まるでフレイヤを誘うかのように、その芳香が鼻腔をくすぐる。
 
「先に食べておかないと、これも盗られてしまうぞ」
「くっ――!」
 
 家の中に未知なる何かがいるのは怖い。
 しかしまたもやイチゴの味を堪能し損ねてしまうのはごめんだ。
 
「先に食べましょう! お茶を淹れます!」
「……君、恐怖より食い気が勝るのか……」

 シルヴェリオの指摘に、フレイヤは「うっ」と言葉を詰まらせる。
 
「と、とにかく、お茶を用意するのでシルヴェリオ様とレンゾさんは椅子に座って寛いでいてください!」
 
 気恥ずかしさのあまりシルヴェリオたちの顔を見ないよう台所に飛び込むと、薬缶を火にかけた。
 次いで食器棚からティーセットを取り出し、テーブルの上に置く。
 
 ミルクのように白いティーカップとティーポットは、どちらもバラの蕾のような形をしており、真ん中がくびれている。
 華奢な線であしらわれた装飾と、さりげなく水色の小花が散らされている品の良いデザインだ。
 
 このティーセットは、フレイヤが元職場と家を往復している時に見つけた食器屋で一目惚れしたものだ。
 本当はすぐに買って帰りたかったが、当時は見習いだったフレイヤの給金ではなかなか難しいお値段だった。
 
 泣く泣く諦めようとしたフレイヤにを気の毒に思った店主が、取り置きをすると提案してくれたのだ。
 そうしてフレイヤは一年ほど節約してお金を貯め、念願のティーセットを手に入れた。

「お皿とフォークをどうぞ」

 フレイヤは食器棚から取り出したそれらをシルヴェリオとレンゾの前に置く。

「では、自分がケーキを皿の上に置いていきますね」

 レンゾがケーキの箱を開けてケーキを皿の上に移そうとしたその時、ビュンと風を切る音を伴い、レンゾの髪を揺らす何かが通り過ぎた。

 一瞬の出来事に、フレイヤとレンゾはなす術もなかった。しかしシルヴェリオはすぐさま立ち上がって指を宙に向けると、魔法の呪文を詠唱する。
 金色の光でできた鎖が目の前に現れた。鎖はひとりでに動くと、しゅるりと宙にある何かに巻き付く。
 
「捕まえた」
 
 シルヴェリオの視線の先にあるのは、金色の光の鎖と――宙に浮かぶ一個のイチゴ。
 イチゴはシャルロットの上に乗っていたものだ。

「い、イチゴが宙に浮いている……」
「ああ、このイチゴを持っているのが犯人だ」
「――っ!」
 
 フレイヤは声なき悲鳴を上げてその場に座り込んだ。

「大丈夫か?」
「あ、あの……腰が抜けました……」
 
 シルヴェリオが手を差し出すものの、フレイヤは少しも動けないでいる。床の上にへたり込み、流しの下にある戸棚に力なく寄りかかるのでやっとなのだ。
 
「フレイヤさん、どうか怖がらないでください。犯人は幽霊ではなく――妖精です。それも、比較的温厚な性格のものが多い種族です」
「……やはりか。レンゾさん、目の前にいるのは猫妖精(ケット・シー)か?」
「そうですけど……工房長は妖精が見えないと仰っていたのに、どうしてわかるんですか?」
「勘だ。フレイさんの話を聞いて、なんとなくそんな気がしたんだ。知り合いの元使い魔の猫妖精(ケット・シー)に、無類のイチゴ好きがいたからな。イチゴの香りに釣られておびき寄せられるのを待っていたんだ」

 知り合い――元職場の先輩の使い魔。
 一人と一匹の出会いは、魔法学園の庭園。学園の庭師が気まぐれに植えたイチゴの葉の下に、傷だらけの猫妖精(ケット・シー)がいた。シルヴェリオの知り合いは猫妖精(ケット・シー)の弱っている姿を見ていられず、契約して自分の魔力を分け与えることで助けた。

「レンゾさん、俺とフレイさんに視覚と聴覚を共有してもらっていいか? その妖精と直接話したいが、あいにく俺もフレイさんも妖精が見えないんだ」
「ええ、いいですよ」
 
 シルヴェリオが呪文を詠唱すると、金色の光がレンゾを包む。緩やかにその光が引いていくと、目の前にイチゴを咥えた一匹の黒猫がいた。
 
 瞳の色はイチゴのような赤色。胸元の毛は一カ所だけ白く、星の形のブローチをつけているように見える。
 愛くるしい顔立ちをしているが、毛に艶はなく痩せこけており、今にも倒れてしまいそうだ。

「やっぱり、フラウラだ。一連の犯人はお前だな」
「フラウラって……パルミロさんが探している元使い魔の?」
「ああ、そうだ。パルミロと契約していた頃はほぼ毎日姿を見ていたからわかる」

 基本的には妖精の姿を見られる人間は限られている。
 しかし契約を交わした妖精たちは、その気になればどの人間にも姿を見せることができる。

 パルミロと契約していた時のフラウラは、その姿を隠さずに生活していた。
 
「フラウラ、どうしてここにいる?」
『だって、ここは誰も住んでいないし美味しいイチゴがあるから……』
「聞いているのは、そういうことじゃない。どうしてパルミロを捨ててここにいるんだ?」

 フラウラの赤い目の眦がきゅっと持ち上がった。
 
『捨ててなんかいないわ! もう一度パルミロと一緒にいられる方法を探しているのよ!』
「そんな方法……あるなら俺がとっくに試している」
『人間の方法ではないわ――妖精の間に伝わる魔法よ』

 すると、どうしたのか。フラウラの怒りの炎は瞬く間に静まった。
 ガラス玉のような目から、ぽろりと大粒の涙が零れる。

長命妖精(エルフ)ならその方法を知っているわ。だけど、あいつらはケチでひねくれものだから、そう簡単に教えてくれないの』

 妖精には様々な種族がいる。その中でも長命妖精(エルフ)は高位の存在だ。人型で、総じて美しく聡明で――不老長命。
 魔法に長けており、人間の魔法使いより遥かに多くの魔法を使うことができると言われている。

『何度も頼み込んでようやく、話を聞いてもらえたわ。だけど、自分が気に入るものを持ってこないと教えないと言われたの。……色んな物を持っていったけど、どれも気に入ってくれないのよ』
 
 ポツリポツリと話す度に、赤い目から涙が零れ落ちる。
 
「フラウラ、ひとりで探すのは辛くて寂しかったね」

 フレイヤはポケットからハンカチを取り出すと、フラウラに手渡す。

「私で良ければ力になるよ。だからその話、もう少し聞かせて?」
< 53 / 58 >

この作品をシェア

pagetop