追放された調香師の私、ワケあって冷徹な次期魔導士団長のもとで毎日楽しく美味しく働いています。

56.過去を想う

「カリオは、このトランクを私にくれた――亡くなった祖父の名前です」
『……亡くなった?』

 少しの沈黙の後、オルフェンはたどたどしくオウム返しした。まるでその言葉の意味を、問うかのように。
 見ると、彼は薄荷色の目が零れそうなほど大きく見開いており、明らかに驚いているようだった。
 
『たった五十年しか会っていないだけなのに……』
「人間にとって五十年は、とても長い時間なんです。祖父は老衰で……十二年前に、眠るように息を引き取りました」
『ほんの十二年前に亡くなったんだ。またねって、言っていたくせに』
「また会う約束を、していたのですね……」

 この妖精は、祖父とはそれなりに仲が良かったらしい。
 実のところ、今まで一度も祖父から妖精の友人がいるという話を聞いたことがなかったため、正直に言うと驚いている。

 フレイヤは優しくて物知りな祖父――カリオが好きで、よく彼の膝に乗せてもらいながら、薬草や香草の話や昔話を聞かせてもらっていた。
 故郷のロードンに辿り着くまでは全国を旅していたカリオの昔話は、冒険譚を読んでいるようで楽しかったのだ。
 
 カリオが出会った人物の話は、何度も聞かせてもらったから覚えている。
 国境を守る騎士の知り合い、異国を渡り歩く商人の友人、そして、森深くに住む魔導士の友人――。
 しかしその中に、妖精の友人の話はなかった。

(もしかしたら、おじいちゃんは――)

 フレイヤの胸の中に、一つの可能性が浮かぶ。
 しかしその予想をオルフェンに伝えるには、まだ確証が足りなかった。
 
『……人間の命は短いと聞くけど、本当にあっと言う間なんだね。死ぬとわかっているなら、別れの挨拶くらいしに来てくれたって、良かったじゃないか』

 オルフェンは俯いた。さらさらと指通りの良さそうな髪が彼の表情を隠す。
 
 怒りの滲む声に、震える拳。
 親しい者の死を悼むというより、置いてきぼりにされたとでも言わんばかりに怒っているように見える。
 そう、今のオルフェンは、拗ねた子どものようなのだ。
 
『ふぅ~ん。死んだんだ。僕に挨拶もしないで』
「あ、あの――」
 
 フレイヤは躊躇いがちに話しかける。
 まさか祖父の訃報を聞いて、このような反応をされるとは思ってもみなかった。
 
 いったい、どう言葉をかけるべきなのだろうか。
 戸惑い、必死で言葉を選んでいるフレイヤに、フラウラがこっそりと耳打ちする。
 
『気にしないで。長命妖精(エルフ)は時間の感覚が狂っているから、こういうことがよくあるのよ』
「そう……なんだね」
『長寿で死ぬことが縁遠いから、他の生き物の命の短さに無関心なの。それに、自分以外の生き物に興味がないのよね。だから、あなたとあなたのおじいさんを間違えたでしょう? あいつらにとって自分たち以外の種族は、花と一緒なのよ。気付いたら咲いていて、気づいたら枯れてしまっている。だけど、その時には似ている別の花が咲いている……という具合にね』

 たしかにオルフェンは、フレイヤをカリオだと勘違いした。
 彼の発言から察して、フレイヤの髪や目の色、そして魔力がカリオと似ているから間違えたようだ。

(でも、間違えただけで私とおじいちゃんを混同していない。だって、おじいちゃんの不在を惜しんでいるのは確かだもん)

 本当に花と同じだと思っているなら、そこまで関心がないのであれば、感情が動かされないはずだ。
 怒りの滲む声の向こう側――オルフェンの心は、特別に思っていた人物の喪失で傷ついてしまったのではないだろうか。

 確かに妖精と人間は考え方が異なる。長命妖精(エルフ)となれば、生きてきた年月が遥かに違うのだから、認識の相違はあってしかるべきだろう。
 それでも、オルフェンの受けた心の傷を、気にしないでいい理由にはならない。

(おじいちゃんとの別れを惜しんでくれているこの長命妖精(エルフ)の気持ちに、寄り添いたい)

 自分にとって大切な人を、オルフェンもまた大切に思ってくれている。
 だからこそ、彼が抱いた喪失の悲しみと怒りを、わかり合いたいと思ったのだった。
 
 フレイヤはオルフェンの前で少し体を屈め、前髪に隠された彼の目元を見遣る。
 
「あ、あの……もしよかったら、祖父との思い出を教えていただけませんか?」
『どうして?』
「人間はそのようにして、大切な人を偲ぶんです。あと、私が昔の祖父をもっと知りたいということも理由の一つではありますが……」

 するとオルフェンはゆっくりと顔を上げた。
 不貞腐れたような目で、フレイヤを真っ直ぐに見つめる。
 
『カリオは、確か人間の分類でいう貴族とやらだった。そこそこ大きな家門と言っていたな』
「――っ! その家名は、なんというのですか?」

 フレイヤは驚きに息を呑んだ。
 しかし心の中で、やはりと独り言ちるのだった。

 そのような予想を、したことがあった。
 以前、カルディナーレ香水工房で働いていた頃に貴族の礼儀作法を独学で学んでいた頃のこと。
 教本を読んでいたフレイヤは、祖父の所作やちょっとした言葉が貴族の礼儀作法に則っているものだと、ふと気付いたのだった。
 
 大好きな祖父は、たくさんの秘密を抱えている人だった。
 彼はあまり両親や兄弟の話をしなかった。どこにいるのかと尋ねても、とても遠いところと答えるだけで、詳しくは教えてくれなかったのだ。
 
 両親や兄弟を嫌っているようには見えなかった。しかし彼らの話をする時の祖父はいつも、どこか寂しそうな目をしていた。
 
 だからこそフレイヤの頭の中にいくつもの憶測が生れていた。その中に、祖父は貴族家の出身だったのではないかというものもあった。
 そして、何かしらの理由があって、祖父は貴族籍を捨てたのだろうと。
 
『忘れた。だって、人間の分類は複雑で面倒だもん。いちいち覚えていられないよ』
「たしかに、家名は人間にとっての目印でしかないですものね」
『……ふ~ん。カリオと同じことを言うんだね。やっぱり、孫だからなのかな?』
 
 オルフェンは顎に手を添えると、フレイヤに顔を近づける。
 先ほどからすでに距離が近かったというのに、いっそう近づいてしまった。

「あ、あの……?」
 
 迫る薄荷色の目に、困惑したフレイヤの顔が映る。
 
『――決めた。じゃあ、君にしようかな』
「はい?」

 フレイヤは思わずといった調子で聞き返す。
 今しがた、オルフェンはフレイヤを何かに指名した――かのように聞こえたのだ。
 
『そこの猫妖精(ケット・シー)に僕が知っている魔法を教えるという、例の条件のことだよ。もしも僕がフレイヤを気に入ったら、魔法を教えてあげるよ。だからフレイヤは、しばらくこの森で過ごしてよ。前の条件よりわかりやすくて、いい提案だろう?』

 そう言い、オルフェンは見る者が畏怖の念を感じて震え上がりそうなほど、美しい笑みを浮かべた。




***あとがき***
体調不良で更新をお休みして申し訳ございませんでした。
回復してきましたので、元のペースで更新できるよう執筆してまいります!
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