追放された調香師の私、ワケあって冷徹な次期魔導士団長のもとで毎日楽しく美味しく働いています。

59.風の精霊と首飾り

 時は遡り、シルヴェリオがオルフェンに結界からはじき出されて直後のこと。
 シルヴェリオは結界の外――森の中にいた。幸いにも手荒に弾き出されたわけではなかったため無傷だ。シルヴェリオの他に、フラウラとレンゾも一緒にいる。

「あの長命妖精(エルフ)、フレイさんだけ残して結界の中に閉じ込めるつもりか?」
 
 シルヴェリオが手を伸ばすと、見えない壁のようなものがシルヴェリオの掌に当たる。目の前に森の景色が広がっているが、結界のせいでその先にいけない。
 一瞬の出来事だったとはいえ、成す術もなくフレイヤを結界の中に残してしまった。そんな自分が許せず、悔しさに拳を強く握りしめる。

 試しに攻撃魔法を結界にかけてみたが、少しだけ穴を空けることがやっとだった。しかしその穴は、すぐに塞がってしまう。
 今度は木に下げられている魔石を割ろうとして魔法をかけたが、こちらにもオルフェンの結界魔法がかけられており、シルヴェリオの魔法を吸収してしまった。
 
「たった一匹の妖精を対処できないとは、副団長の名が泣くな」
 
 シルヴェリオは自嘲めいた声音で呟くと、顔を上げてレンゾたちに歩み寄る。
 
「二人とも、怪我はないか?」
「俺は大丈夫です。フラウラは?」
「私も怪我はないわ。それより、残されたフレイヤが心配だわ。オルフェンが気に入っているようだから、傷つけられるようなことはないと思うけれど……生きている間に結界の外に戻ってこられるかわからないわね。できることならもう一度結界の中に入って助け出したいけど……オルフェンほど熟練した魔導士の結界を突破するのは至難の業よ」

 フラウラに言われずともシルヴェリオは気づいている。通常であれば、シルヴェリオは結界を構成する術式を分析し、綻びに魔法をかけてそこから結界を崩す。しかしオルフェンが作った結界には少しの綻びもなく、シルヴェリオが介入する余地がない。よほど念入りに術式を組み立てているのだろう。

 腕を組み、眉間に皺を寄せて思案するシルヴェリオに、レンゾがおずおずと声をかける。
 
「オルフェンが警戒していない人物を結界に入れて、フレイヤさんを連れ出してもらうのはどうでしょうか?」
「無理だ。先ほど結界の術式を分析したが、新たに人が入らないよう変更している」
「そんなこともできるんですか……」
 
 レンゾは絶句すると、森の奥――透明な結界を見遣る。その先にいるフレイヤの身を案じた。

「オルフェンは本当に、しばらくフレイヤさんをあの場所に置いておくつもりなのでしょうか……しばらくとは、何十年後になることやら……」
「あいつら長命妖精(エルフ)なら五十年が経ってようやく帰し忘れたことに気づくんじゃないかしら? 冗談じゃないわ。何か方法を考えないと……」
 
 フラウラは作戦を考えてみるものの、良策が浮かばず頭を抱える。レンゾも同じような状態だ。
 シルヴェリオもまた、腕を組んで思案を巡らす。討伐の経験や、魔導士団に入団してすぐの頃に教官から教わった戦法、そして王立図書館で読んだ魔導書の内容を思い出していく。

 討伐では魔物や魔獣が主で、妖精に関する出動は片手で数えるほどはあったものの、オルフェンのような強い妖精ではなかったため参考にならない。
 妖精の魔法について書かれた魔導書を読んだことはあったが、具体的に対抗できる魔法については書かれていなかった。
 
「そういえば、精霊なら妖精の魔法を打ち消せると魔導書に書かれていたな……フラウラ、精霊を呼び出すことはできるか?」
「う~ん、純粋な属性魔力で生まれた妖精なら、その系譜の精霊の加護があるから呼ぶことができるけど……私は他属性の魔力で生まれた妖精だから、呼ぶのは難しいわ」
「……人外の世界にも案外、派閥のようなものがあるのか」
 
 興味深い話ではあるが、今知りたくはなかった。シルヴェリオは小さく溜息をつく。
 
 フレイヤを助けるためには、まず精霊を呼び出すしかないのだろうか。
 精霊召喚はそう簡単な魔法ではない。どれほど魔力が多く、魔法に秀でた者であっても、成功するかどうかは精霊の気分次第だ。人間よりはるかに魔法に秀でた精霊が人間の呼びかけに応じることは早々ない。
 応じるのは、その人間に惹かれているか、その人間の願いに興味を持った時くらいだ。
 
 ほぼ可能性がない術だが、試してみるしか方法がない。
 シルヴェリオは腕を解くと、見えない壁越しにある森を睨みつける。壁一枚向こうに大切な部下がいるというのに、すぐに助けることができない自分の弱さを呪った。
 
「……仕方がない。一度王都に戻って、精霊召喚の方法を探そう。精霊によっては、応じてくれるかもしれない」 

 踵を返したシルヴェリオが、重い一歩を踏み出したその時。
 
「工房長、空を見てください! まるで、誰かが雲で絵を描いているような、不思議な雲が浮かんでいます!」

 レンゾが空を指差す。その先を見ると、大輪の花のような形の雲が浮かんでいるではないか。

「あれは風の精霊のシルフが作った雲だわ! シルフは風で雲を動かして、空に絵を描くのよ!」

 フラウラがやや興奮気味に教えてくれる。運よく精霊が近くにいることが嬉しいようで、尻尾がピンと天を向いている。

「そのシルフはどこにいる?」

 シルヴェリオの問いに答えるように、クスクスと小さな女の子の笑い声がする。

「ここにいるよ」
 
 鈴を転がすような愛らしい声が聞こえると、シルヴェリオたちの前につむじ風が起こる。その中に、白いドレスを着た十歳くらいの少女が現れた。
 銀色の髪と瞳を持つ、華奢でか弱そうな容姿だ。背丈はシルヴェリオの腰の当たりまでしかなく、純白で透け感のあるドレープを幾重も重ねたドレスを着ていることも相まって、可憐さが際立つ。

 シルヴェリオは少女を一目見て、風の精霊のシルフだとわかった。少女には可憐な姿からは想像できないほどの気迫があり、対峙すると畏怖の念が込み上げるのだ。

「私ね、ひと仕事終えて住処に帰ろうとしたの。だけど、ハルモニアの大切な人間が奇妙な結界の中にいるのを感じ取ったのよ。半人半馬族(ケンタウロス)が首飾りを贈るほど大切な人間に何かあったら、絶対に落ち込むと思うもの。だから助けに来たのよ」
「その半人半馬族(ケンタウロス)のハルモニアはもしや、長をしている固体か?」
「そうよ。人間なのに半人半馬族(ケンタウロス)に詳しいのね。もしかして、あの子から薬草を買っている人間? 半人半馬族(ケンタウロス)は人間と薬草の取引をしているのよね?」 
「俺は魔導士だから取引をしていない。俺の部下がその半人半馬族(ケンタウロス)と知り合いだ。彼女がその半人半馬族(ケンタウロス)から首飾りを貰ってつけている」
「ということは、あなたはフレイって子の知り合いなのね! ハルモニアの片想いの相手の!」
「片思いの相手……」
「ええ、半人半馬族(ケンタウロス)は求愛の証で首飾りを贈るの」
「例外はないのか?」
「そんなのないわよ。古今東西、どの半人半馬族(ケンタウロス)もしているわ」  
「……あの首飾り、やはりそういうことだったのか……」
 
 シルヴェリオは小さな声で呟いた。低く、感情を押し殺したような声で。
 
「フレイさんを騙してつけさせるとは……随分と性格が悪い」

 親友としての気遣いだと純粋に信じているフレイヤを想うと、どうしても許し難かった。

「久しぶりに半人半馬族(ケンタウロス)が人間に片想いをする話を聞いたから、つい応援したくなるのよね。さっきもハルモニアに頼まれて、フレイヤって子を泣かせた奴らに仕返しに行っていたの!」
「仕返し……精霊の仕返しって、大変なことになっているんじゃ……」

 レンゾがぶるりと身震いした。妖精より力の強い精霊が本気で仕返しをしたとなると、街が一つ消えていそうだと不安に思うのだった。
 
「さあ、お喋りは終わりよ。こんな結界、さっさと崩してあげるわ」 

 シルフが方手をかざすと、パリンとガラスが割れるような音が聞こえた。途端に、目の前の景色に亀裂が入り、カシャリと音を立てて崩れ去る。その先に、オルフェンの住んでいる小屋が再び現れた。
 いとも簡単に結界が崩れ去る様子に、シルヴェリオとレンゾとフラウラは言葉を失う。
 
「ぐずぐずしていないで、フレイヤを助けに行くわよ!」

 シルフに促され、三人は再びオルフェンの住処に足を踏み入れた。
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