二十九日のモラトリアム
夜の動物園
「動物園……?」

 チヒロに連れられるまま歩いて行った先に遭ったのは、営業時間を過ぎて閉園した動物園だった。

「オレの病室からずっと見えとったんやけど、一回も来たことなかったんよ」

 閉ざされた門を前に、チヒロはなんだか嬉しそうだった。

「あ、すり抜けられるよ」

「え、どうやって?」

 門をつかんでよじ登ろうとする仕草をするチヒロにそう言うと、そう返されてしまった。

「どうって……」

 言われてみれば、どうやってたんだろう。人間とかは勝手にすり抜けてたけど、さっきの病院も一階の天井はすり抜けたのに二階の床には立ててたし、すり抜けた天井と立った床って、ほぼ同じものなのに、どうやってすり抜けるのとすり抜けないの使い分けてたんだろう。改めて聞かれると、困ってしまう。

「気合?」

 チヒロは今柵をつかんでいるけど、たぶんその柵だってすり抜けられると思う。気持ちの問題なのかなぁ。幽霊に実体はないんだろうし、今チヒロが柵をつかんでいるのもつかんでるって思いこんでるだけの、パントマイムなのかもしれない。

「こういう、感じで……!」

 実際にやってみせた方が早いかもしれない。

 私は映画館でやったみたいに助走をつけて、柵に体当たりをする。ぶつかる瞬間目をつむってしまうのは、やっぱり怖いから仕方がない。意識したせいで出来なかったらどうしようって思ったけど、あの風の感覚がして、目を開けたときには柵の内側にいた。

「おー」

 ぱちぱちと、柵の向こう側でチヒロが拍手していた。

「でも、なんか怖ぇな」

「慣れれば、案外平気だよ」

 柵の中と外。チヒロは、なかなか動こうとしなかった。

「なあ、手ぇ握ってーな」

「え?」

 また、チヒロが八重歯をのぞかせて笑う。

「そっちから、手ぇ引っ張ってーな」

 柵の隙間から、チヒロが手を差し出してくる。

 さっき握れなかった、チヒロの手。

 さわると、どんな感じがするんだろう。

 生きてる人間みたいに、すり抜けたりしないかな。

「いいよ」

 私はチヒロの手を握り返した。

 ちゃんと触れたチヒロの手は、決して温かくはないけど冷たくもなかった。なんだか、ぬるいような不思議な感じがした。

「いくよ!」

「おう!」

 勢いをつけて、チヒロの手を引っ張る。

 自分じゃないのに、チヒロが柵にぶつかるっていう瞬間は思わず目をつぶってしまった。勢いよく引っ張ったのに上手くすり抜けられなくて、チヒロが激突したらどうしよう。そう思ったけど、チヒロの動きが止まっておそるおそる目を開けると、柵の内側に立つチヒロが目の前にいた。

「へえ。おもろいなぁ」

 私の胸に飛び込むすんでのところで立ち止まったチヒロが、楽しそうだった。
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