二十九日のモラトリアム
「やっぱり」

 彼の言葉に、高揚した。こんな時間に給水タンクの上に立っているなんて普通じゃない。だから、もしかしたら私と同じ状態の人なんじゃないかって思った。

「水干の犬に、会ったの?」

「なんやそれ」

 私が問いかけると、彼は給水タンクの上から飛び降りた。ううん。飛び降りたっていうよりも、飛んだ。ふんわりと、重力なんてないみたいな速度で、私の隣に降り立った。

「オレが会ったんは、十二単の猫やったで」

 隣に立った彼は、私よりも背が高かった。でも、私よりたぶん細い。だぶついたパジャマが、より一層そう思わせるのかもしれなかった。

「ネコちゃんか。いいな。私、犬より猫派なんだよね」

 ドキドキした。自分と同じような幽霊に会えるとは思わなかった。

 間近で見る彼の目は色が薄くて透き通っていて、でもちゃんとそこにあった。

「犬猫ってより、あれはああいう妖怪やろ」

 笑うと八重歯が見えた。

「オレ、チヒロっていうねん。オマエは?」

「フーカ」

 チヒロが下の名前を名乗ったから、私も下の名前だけ名乗った。

「フーカ、よろしくな。誰にもオレのこと見えんみたいやし、暇しとったんや。朝まで付き合ってぇな」

 学校じゃあ、こんな風に男子と話すことなんてなかなかなかった。男子とも仲良く話す友達がいたからその子がいたら別だけど、私一人で一対一で話すことなんてまずない。

 なのに不思議。自分の状態がいつもと違うからか、チヒロとはすらすら話せた。

「ええなぁ、制服。パジャマにスリッパで、オレ最悪やで」

 チヒロが私の姿を見て言う。チヒロは確かにスリッパだった。とはいえ、学校の来賓用みたいなつま先だけのスリッパじゃなくて、ルームシューズみたいなカカトのあるタイプ。それでも、パジャマにスリッパ姿は見るだけで寒そう。

「寒くなくて、よかったね」

「幽霊やからな」

 今気が付いたけど、幽霊になってから全然寒さを感じていなかった。うんと飛び上がって着地しても足が痛くなることもないし、駅から結構歩いてここまで来たのに疲れも感じていなかった。

 生前となにも変わらないような気がしていたけど、やっぱり幽霊になったんだなって改めて思う。

「苦しゅうなくなったんも、よかったわ」

 ため息をつくようにつぶやいたチヒロ。確かに息を吐く音が聞こえたのに、その息は白くならなかった。

 チヒロに触れて確かめる勇気はなかったけど、きっと今の私たちには冷たさも温かさもなにもない。

「なあ。ここで会ったんも縁やし、ちょっと付き合ってーな」
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