三日月だけが見ていたふたりの輝かしい生活
目覚めると玄関の扉は全開で、武者がまた掃除をしていた。

 いつものスタイル。

 額に薄っすら汗を浮かべて。

「おはよう」

「サブッ」

 利香がショールを頭から被る。

「ごめんごめん。もう終わるよ」

 利香がお茶を入れ、武者と並んで飲む。

 いつもの朝なのに、どこか物悲しい。

 利香は時々、チラッと武者の横顔を見る。

 あの怖い顔がそこにあったらどうしよう、と不安に駆られながら見る。

「はい」

 武者が水筒を差し出す。

 何度も確認して、いつもの朝だ、と自分に言い聞かせる。


 更衣室でミキが黙々と着替えていた。

 横目で利香を確認すると、小声で言った。

「マジで危険な匂いがする」

「怖い目だったけど、危険じゃないよ」

「怖い=危険ですから」

「でも、節約生活はあと少しだけ続けるよ」

 ミキはいきなり利香の肩を掴んで真正面から睨んだ。

「わかるよ!あたしにだってお母さんはいる!お母さんのためなら利香みたいに思うよ!だけど」

「ねえ、ミキ。たぶん心配には及ばないよ」

「何よ、それ」

「続けるといってもあと数日だよ」

「え?」

「契約違反なんだよ、どっちに転んでも」

 
 更衣室の扉がバーンと開いてクラッカーが何発も弾けた。

 利香の頭にクラッカーから飛び出たカラフルな紙が乗った。

 頭にキラキラ光る布製のティアラをつけられ、白いレースが肩からかけられる。

 社員の誰かが作った可愛らしいブーケを持たされる。

 みんなプロだ。

 お遊びでも、作るものは本格的だ。

 あっという間に飾られた利香は可愛い花嫁になった。

 みんなが拍手をおくる。

 おばあちゃん社員は涙ぐみ、中堅社員は利香の頭を撫でる。

 若手社員はスマホで写真を撮る。

 武者・・・。

 隣にいない武者を想う。

 涙がツーッと頬を伝う。

 勘違いだらけの涙が狭い更衣室にあっちでもこっちでも流れる。


 職場を出て、暮れなずむ街を歩いた。

 武者からラインが来た。

『用事があるので帰りは遅くなります』

 どこに行くの?

 誰と会うの?

 何時に帰るの?

 どれもこれも詮索だ。

 立ち入りすぎだ。

 でも、そればっかりだ。

 誰かを好きになるってことは立ち入らなければ成立しない。

 立ち入ることが許されないならその恋は成立しない。

「リョーカイ」

 立ち止まって返事を送った。

 空を見上げる。

 お金は貯められなかったけど、田舎に帰ろうかな。

 今晩は何を食べよう。

 お腹、空かないな。

 
 部屋は冷凍庫状態だった。

 お湯を沸かして湯たんぽに入れた。

 残りでドクダミ茶を淹れた。

 カップで手を温めながらそっと武者の部屋を開けた。

 流木がゴロゴロと転がっている。

 全然売れないんだ。

 本棚に並んだ本を指でなぞる。

 恋愛小説を一冊見つけた。

 手に取って開くと、ページの端が三角に折れていた。

 たぶん偶然折れたんだと思うけれど、そのページを読んでみた。

 ヤバイくらい官能的な表現が2ページに渡って書かれていた。

 そっと棚に戻そうとしたら、ポトリと何かが落ちた。

 足元に武者の預金通帳が開いて落ちていた。

 ダメだよ、と自分に言ったけど、無理だった。

 通帳の表紙には「武者浩司様」という名前が印字されていた。

 毎月25日にツキミ運送から給料が振り込まれていた。

 278000円。

 その翌日、必ず150000円、タカギミノリ宛に振り込まれていた。

 78000円家賃の引き落とし。

 ガス、電気、水道、携帯電話・・

 残りはわずか20000円。

 利香が家賃の半分と光熱費の半分を武者に渡す日の翌日、その全額がまたタカギミノリ宛に振り込まれている。

 何これ。

 全然お金なんてないじゃない。

 全部タカギミノリという人物に渡しているのだ。

 こんなギリギリの生活をしていたなんて、知らなかった。

 懸命に貯金しているものだとばかり思っていた。

 いったい何をやってるの。

 どうしてこんなことしてるの?

 タカギミノリって誰なの?

 利香は通帳を戻すと武者の部屋を出た。

 どうして?どうして?と考えても何もわからない。

 コタツに入って武者の怖い目をまた思い出した。

 玄関の鍵を開ける音がした。

 武者が寒そうに手を擦り合わせながら入ってきた。

「まだ起きたたんだね」

 優しい笑顔だ。

「お茶入れるね」

 利香が立ち上がった。

「うわ、ありがとう」

「何食べてきたの?あ、これも詮索?」

「いや、全然。ハンバーグ」

「そうか。たまには肉もね、食べないと」

「うん」

 台所に立ってドクダミ茶を淹れていると武者が隣に立った。

「これ」

 台所に南仏のパンフレットが置かれた。

「さっき旅行代理店の前を通ったから」

「え、ありがとう」

「よさそうなところだね」

「うん」

「ふたりで住むんだね」

「え?」

「一ノ瀬さんに好きな人ができなくてもここを出て行くこともあるんだね」

 利香は武者の横顔を見上げた。

「武者に好きな人ができても、終わりだよ」

「そうだね」

「もう・・・終わりなの・・?」
 



 

 



 


 



 



 






 
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