三日月だけが見ていたふたりの輝かしい生活
武者は何も言わなかった。

 まだまだ残業が残っていたのに、武者の部屋で作業をする気にはなれなかった。

 武者も明かりを点けていないみたいだった。

 しばらくすると武者の声が聞こえた。

「一ノ瀬さん」

 薄い壁はまるで隣に武者がいるみたいによく聞こえた。

「なに?」

「さっきのことだけど」

 聞きたくなかったから利香は耳を塞いで「もう寝るから」と布団を頭から被った。

 武者の声はそれ以上聞こえなかった。

 眠れない夜を過ごした。

 翌朝、利香は遅刻をした。


 大沢課長は露骨に利香を無視した。

 小さい男だ、と利香は呆れた。

 ミキはまだ武者のことをあれこれ詮索していた。

 利香はもうほとほと疲れていたから、ミキを無視した。

 武者が好きだと告白してあの家を出ようか。

 通帳を見たよ、タカギミノリって誰?と立ち入ったことを聞いてやろうか。

 その人のことが好きなの?と思い切り土足で踏み込んでやろうか。

 今日はさすがにお腹が空いていたからコンビニに寄ることにした。

 50%オフの唐揚げ弁当はあの学生アルバイトとおばあさんの大事なコミュニケーションだから取っておいてあげよう。

 だったら何にしようかな、と店の奥の方へ向かったら、ガラスの向こう、通りを歩く武者の姿を見つけた。

 今帰りだろうか。

 久しぶりにコンビニの弁当を買うつもりなんだろうか。

 なんとなく隠れて見ていたら、武者の隣に女の人がいた。

 店の扉を開けてやり、女の人を先に店に通して、ふたりは利香がいるコンビの中に入ってきた。

 いつもの優しい武者だった。

 利香は隠れているというより、もう足が動かせなかった。

 全身が固まり息もできないくらいだ。

 それでも、武者たちが店の中を移動するたび、必死で足を動かして利香も移動した。

 会話はあまりよく聞こえないけど、時々武者が「もっと入れていいよ」と言うようにカゴを彼女の方に差し出している。

 女の人は武者よりは少し歳上に見えたけれど、物静かな雰囲気の綺麗な人だった。

 遠慮しているのか時々首を横に振るけど、武者が次から次へと商品をかごに入れていく。

 すぐにカゴは満杯になった。

 レジでバーコードを通し終わった学生アルバイトの「13500円です」と言う声が聞こえた。

 ベリベリと武者が財布を開ける音が響く。

 万札を出してレジに置く武者の手元が背後からでも見える。

 袋は4つになっていた。

 全部武者が持ってふたりは店を出て行った。

 そういえば今日は武者からラインが来なかった。

 もしかしたらあの人がタカギミノリ?

 お金を振り込ませ、買い物までさせているタカギミノリ?

 もう武者から何も取らないであげてほしい。

 武者が死んじゃう。

 利香は心の中で叫んだ。

 タカギミノリは知らないかもしれないけど、武者は全然お金なんて持ってないんだよ。

 遠ざかっていく武者と、その横を歩く人をずっと見送った。

 何やってんのよ・・武者・・。

 利香はもう我慢ならなかった。

 どうせあの部屋はもう出ていかなければならないのだ。

 武者を好きになってしまったのだから。

 だったら覚悟を決めるしかない。

 利香はもう見えなくなった武者の背中をいつまでも見つめていた。
 

 
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