君はまだ甘い!
「あ、マヤさん、『守ってあげたい』も歌ってほしいです!オレ、あれもすごく好きなんです」

トオルがニコニコ顔でマヤの顔を覗き込みながら、右肩にさりげなく手を置き嬉しそうに言うので、思わずビクッと体が跳ねた。
体温と同時に息遣いまで感じる距離に顔がある。

(まつ毛長っ!)

「う~~ん、あの歌キーが高くて難しいから無理」

思わず体をのけ反らせながらも、努めて平静を装い、そう言って立ち上がった。

「え~~残念…」

今度は眉尻を下げいかにも残念そうな表情に変わる。
その顔が、マヤに罪悪感を抱かせ、いたたまれなくなる。

「ドリンク取ってくるね」

明美が再びマイクを取って、高橋真梨子を歌っているのを横目に、そそくさと扉を開けて部屋を出た。


人と話す際、相手の目をじっと見つめたり、やたらスキンシップが多いのは、彼にとっては無意識なのだろうが、異性で、しかもあの美形となると、大抵の女子は勘違いするに決まっている。本人にはそんな自覚は全くなさそうだが。

そのように冷静に分析ができている自分にひとまず安堵するが、肩に触れられた時に跳ね上がった心臓の鼓動がまだ治まらないことに戸惑う。
足早に通路をまっすぐ進んで、少し奥まった場所にあるドリンクバーに辿り着き、ひとまず呼吸を整えた。

(てか、、、アレがもし天然でなくわざとだったら?それって揶揄われているってことだ。もしそうなら、帝王より(たち)が悪いな。)

そんなことを考えながら、コーヒーカップを手にした時だった。

「おい」

背後から、既に聞きなれた、低くかすれた声が耳に届いた。ちょうど今の今頭に浮かんでいた、その声の主以外には人の気配はない。
不穏な空気を感じて振り向くことができず、

「何?」

とだけ答えて、カップをコーヒーメーカーにセットし、スイッチを押した。

「いい年をしたおばはんがぁ、若い男に煽てられて調子こいてんじゃねーよぉ!」

かなり酔っているようだが、卑俗な言葉遣いにイラっとする。
居酒屋での一件では謝罪をしたものの、その後も何度も不躾な視線を向けてきたこともあり、彼に対する嫌悪感が益々募る。
返事をすることすら疎ましく感じ、無視してコーヒーが注がれているカップを見つめていると、ふいに腕を掴まれた。同時に酒の臭いが鼻をつく。

背筋がぞわっとして、振り返らないまま反射的にその手を振り払った。
< 29 / 82 >

この作品をシェア

pagetop