君はまだ甘い!
桜の花がちらほら開き始める季節になった。
昼間は暖かい日も多くなったが、夜はまだ冷える。

夜中にトイレから戻り、自室のドアを静かに開けると、すぐ足元にある布団の角につまづきそうになった。
自宅の狭い6畳寝室。ベッドの隣の床に無理矢理敷いた、キングサイズの布団セットだ。

暗闇の中、それを踏まないよう壁づたいに一歩一歩進み、ようやく辿り着いたベッドに両手をついて片足を乗せた瞬間。
残った片足がグイっと掴まれた。

「!」

振り向くと、長い腕のおぼろげな輪郭が自分に伸びていた。

「ちょ!」

言うと同時に、ぐいっと強い力で引っ張られた。
柔らかい布団の上に尻もちをついたかと思うと、次の瞬間には、バサッという音と共に、大きな布団にくるまれる。

「ん!」

暗闇の中の、さらに小さな密室で、温かい感触が唇に触れる。

「一緒に寝よ」

耳元で囁かれ、思わずビクッと肩が跳ねた。
抵抗しようにも、体に巻き付く長い手足にがっちりガードされている。

「やめ…、ユカが起きる…って…」

言葉とは裏腹に、マヤの体の芯が熱を持ち始めた。

骨折が完治して、年明けからトオルは練習とトレーニングを開始し、忙しい日々を過ごしている。
1月に、マヤがインフルエンザで寝込んだ時、トオルは急遽名古屋から深夜に駆けつけた。
トオルは朝から雑炊を作ってマヤに食べさせたり、薬をのませたり、甲斐甲斐しく看病をした。
洗い物も済ませ、洗濯をしようとしたら、ユカに怒られ、しゅんとなって、マヤの部屋に戻ってきた際には、笑って頭を撫でてあげた。
そしてお別れのキスだけをして帰っていった。

それから3か月ぶりの再会だった。

「わかってるって。何もしないよ」

トオルは布団を被ったままそう言うと、絡めていた腕を離し、マヤの頭の下に滑り込ませた。
なだらかな曲線を描く筋肉を纏ったその逞しい腕は、どんな最新技術でもって開発された快眠枕よりも、マヤを深い眠りに導いてくれる。
安心感に包まれ瞼を閉じると、トオルが顔を寄せて囁いた。

「朝、ユカが出かけるまでは、ね」
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