百物語。
お母さんはそう言って、諦めたように箪笥の戸を閉めた。そんなに大切なバッグなのだろうか。

「どんなバッグなの?」

訊きながら、私はごそごそと着替えを始める。どうでも良さそうな態度ではあるけど、私なりに探してあげようかとか思ってはいる。

「邦子も見たことはあると思うわ、黒のシルバーアクセサリのついた…」

「ああ、あれ」

お母さんが言う前に脳裏に浮かんだバッグ。本人が気に入っているといったわけではないが、普段結構身に着けていたことを思えばそうなんだろう。

でもそんな大切にしていたものをなくすなんて、お母さんもボケが始まったか?…そんなこと言わないけど。

「お母さん、それ1週間前には持ってたよ。だって持って出掛けてなかったっけ?友達と旅行だとか言って」

「そうなのよ、それは覚えてるの。だから1週間前にはあったはずなのに…どこいったのかしら」

ほとほと参った、と言うように溜息をついて、お母さんは悔しいながらも諦めたのか、話題を転換した。

「…まぁいいわ。邦子、あなたさっさと朝ご飯食べてきなさい。準備してあるから」

私は了承してから、階段を降りてリビングへと向かった。






今更ながらに時計を見てみると、時刻は9時。寝すぎたかもしれない。これじゃあお母さんが起こしにきても文句は言えないだろう。

置いてあったパンやらコーヒーやらを口に含み、ちらりと付けっぱなしのテレビを見ればテレビショッピングが入っていた。

いつも通りの休日の朝であるはずなのに、どこか違うのは引越しというもののせいだ。

友人達との別れを済ませた今、寂しいという感情はもうないが、どこか胸にポッカリと穴が開いてしまったような気がする。
 
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