勇者倒しに行ってきますっ! 〜天才少年は最強王女のお気に入りなのです〜

10 筆頭魔術師

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「…………全然ダメね」

 アストライアは深いため息をつく。

 父である魔王、ライゼーテ直々に広域治癒魔法を新たに作るよう命じられてからもう、二か月の時が過ぎた。

 思うような結果が出ず、アストライアの気分は落ち込むばかりだ。

 こういう時にシンがいれば、と何度か思う。アストライアの沈んだ気持ちを持ち上げることができるのは、シンぐらいだとアストライアは思った。

 だがシンがいない以上、叶わない小さな願いは早々に切り捨てた方が自分のためでもある。有限の時を不可能な希望に胸を馳せるのはもったいないからだ。

(どうしよう……)

 ライゼーテに言い渡された期間は残り二週間。現在のアストライアの進捗では間に合いそうにない。

(私一人じゃ、できなさそうね)

 しかし、誰かに頼るのはアストライアのプライドが許せない。けれど、広域治癒魔法を作るために言い渡された猶予は迫っている。

 本当ならば自分の力で広域治癒魔法を完成させたいのだが、そうすることができる時間はなさそうだ。

「……フローラ」
「何でしょうか、アストライア姫様」
「ヒューリおじさまに連絡を」
「承知致しました」
(これで何とかなるはず)

 そう安心できるほど、ヒューリにはアストライアも認める実力があった。



「……ヒューリおじさま?」
「ーーーー……ん、だれ、だ?」
「ヒューリおじさまの姪のアストライア。忘れただなんて言わせないわよ?」

 フローラにヒューリとの面会時間を取ってもらい、アストライアは久方振りに叔父のヒューリと再開していた。

 だが今、目の前にいるヒューリはアストライアの知っているヒューリとは違っていた。

 目の下には大きなクマがあり、薬の匂いがプンとアストライアの鼻をくすぐる。この匂いは眠気を感じなくなる薬の匂いだ。

(いったい、何日寝てないのかしら)

 研究に没頭すると三大欲を忘れる、魔界で最もおかしな者。それがヒューリだとアストライアは思っている。

「ヒューリおじさま。あなたが前に寝たのはいつか覚えているかしら?」
「……覚えてるわけないだろ」
「はぁ、やっぱり」

 この様子だと、一週間は徹夜して研究をしていたのだろう。身体が壊れるのは時間の問題だ。広域治癒魔法の相談よりもヒューリの体調を整えるのが先だとアストライアは判断する。

「もう……。【睡眠】【回復】【速度向上】」

 アストライアはヒューリに【睡眠】【回復】【速度向上】を展開、発動させて、軽く三日分の睡眠時間を三分間に縮めてヒューリの体調を回復させる。

 そして三分後、ヒューリのクマは取れ、眠気を帯びた眼は生気に溢れた。さすがに三日分の睡眠を取ると、ヒューリも回復するようだ。

 ヒューリはライムイエローの髪を無造作に束ねていたが、アストライアが綺麗に結び直したため、ところどころ跳ねていた髪も綺麗にまとめられた。

 ストレートグレーの瞳は、その奥に潜むヒューリの未だ誰も知らぬ底力を隠す霞のように捉えられる。

「ん、んんー」

 ヒューリはグッと肩を伸ばすと、アストライアに向き直り、話した。

「ありがとな、アストライア」
「ヒューリおじさまが元気になって、本当に良かったわ。たまにはちゃんと寝てね?」
「えー、あっ、ちゃんと寝ます。寝ます」

 アストライアがキッとヒューリを睨み、ヒューリはその表情に気圧され、ちゃんと寝ることを約束する。当分は健康な体を保ってくれることだろう。

「それで、私に何の用だい?」
「広域治癒魔法の研究が思うようにいかなくて……。筆頭魔術師のヒューリおじさまなら、完成させられるんじゃないかって思ったの」
「広域治癒魔法ねぇ。兄さんに頼まれたのか」
「うん」

 筆頭魔術師。それは魔族の魔術師の中で最も名誉とされる称号を手にした魔術師に贈られる名である。

 そんな筆頭魔術師のヒューリならば、アストライアの研究している広域治癒魔法を完成させることができるのではないかとアストライアは考えたのであった。

(だらしない人だけど、魔法の腕は確かなのよね)

 もちろんその魔法の腕はアストライアよりも優っている。ただ、実生活と身だしなみを除いては。

「どんなふうにやろうと?」
「【瑞水】【治癒】【風吹】で【治癒】を付与した【瑞水】を【風吹】で飛ばして治癒できるかなって思ったの。でも、【瑞水】に【治癒】を付与できなくて、代わりに【氷結】で試したんだけど、これまた【火焔】で溶かしたら【瑞水】の時と同じようになっちゃって……」
「なるほどね」

 ヒューリは少し考えると、アストライアに言った。

「アストライア、仮に【治癒】を【瑞水】か【氷結】に付与できたとしても、その方法では上手くいかない」
「えっ、なんで?」
「【治癒】と【瑞水】は実体を持つ、持たないの全然違う魔法だ。それを無理矢理繋げても、結果的に【治癒】と【瑞水】は兵士たちの身体に触れた途端に離れてしまう。つまり、兵士たちは治癒されるけど、【瑞水】で身体が濡れてしまう。となると【風吹】で乾かす手間が増えるから、結果的に魔術師が直に【治癒】をした方が早くなる」
「あっ」

 つまり、機動力に欠けるということである。

「それに、兄さんの言う広域治癒魔法は他の魔術師も使えるような魔法だろ? こんなに面倒にしなくても、俺らなら【治癒】で一発だ。でも、他の魔術師たちはそうもいかない。それが普通だからだ」

 そう、アストライアがここまで苦戦する理由は、一般の魔術師たちも使えるような広域治癒魔法にするよう、ライゼーテに言い渡されたからだ。

 そうでなければ広域治癒魔法を【治癒】だけで使えるアストライアは頼まれたと同時に研究は終わっている。

 ライゼーテからの条件をアストライアはヒューリに伝えていなかった。だがそれをアストライアがヒューリに尋ねてきた時点でヒューリは見抜いた。

 実生活と身だしなみを除いては、ヒューリは素晴らしい頭脳の持ち主である。

「なら、そうだな……【治癒】」

 ヒューリは【治癒】を展開する。展開した手のひらの上には魔法陣が淡く光っていた。

「【拡大】」

 次にヒューリは【治癒】の魔法陣を【拡大】させた。【治癒】の魔法陣は部屋いっぱいに拡大した。

「これで、何とかなると思うぞ」
「……すごい」

 純粋にアストライアは感嘆した。ずっとアストライアが悩んでいたことを、ヒューリはこの数分であっという間に解決したからだ。

 生活能力のないヒューリだが、筆頭魔術師としての実力はアストライアの見立て通り確かであった。

 こんなにも簡単に解決されてしまうと、アストライアは恥ずかしくてたまらなくなる。

(馬鹿みたい……)

 アストライアは【治癒】と【拡大】だけで広域治癒魔法を使えるとは思ってもいなかった。

 広域治癒魔法の研究を頼まれた時に、アストライアはその考えも浮かんだ。だが、そんな簡単にできるわけないと決めつけて、実験はしていなかったのだ。

 アストライアはぎゅっとドレスの裾を掴む。その様子が視界に入ったヒューリはアストライアを慰めるかのように言った。

「アストライア。君はまだ七歳だろ? こんなのを頼む兄さんも悪いし、アストライアに回さなければいけないほど忙しい私たち、魔術師にも非がある。そんなに落ち込まなくてもいいんだよ」
「……でも、結局私は広域治癒魔法を自分の力で完成させることができなかった。これは変わらない事実よ」
「アストライア……」

 アストライアのプライドが、それを許せなかった。

 宝石のようなローズレッドの瞳に涙が溜まる。アストライアはそれを溢さないように我慢する。

 ヒューリはアストライアの背丈まで身を屈め、涙を指で優しく拭った。

「可愛い顔なのに、勿体無いよ」
「私が可愛いことは知ってるわ」
「ははっ、そうかそうか」

 ヒューリはそう言うと、ゆっくりと立ち上がった。

「兄さんには俺から報告しておくよ。……そうだアストライア。今度、私の研究を手伝ってくれないか?」
「えっ、ヒューリおじさまの?」

 ヒューリに頼まれる研究の大半は、並の魔術師では非常に困難とされるものばかりである。それをアストライアに手伝って欲しいとヒューリは言ったのだ。

「……足手纏いになるわよ、私」
「おや、天才がと言われるあのアストライアがやってもいないのにできないと?」
「むぅ、できないだなんて言ってないわよ。……ヒューリおじさまはそう言うところが上手いわよね」
「え、どこが?」
「…………」

 果たしてヒューリは天然なのか、はたまた故意に言ったのか。人を見る目には自信のあるアストライアでも、ヒューリのことはまだよくわかっていないのだった。

「じゃ、私はそろそろ自分の研究をしなくちゃだから、またおいでね、アストライア」
「えぇ、また来るわヒューリおじさま。……今度はちゃんと生活リズムを整えて会えることを期待してるわ」
「……努力はするよ」

 ヒューリは苦笑いを浮かべる。

「それじゃあ、また」
「えぇ、また」

 短い挨拶を終えると、アストライアはフローラの【転移】でヒューリの部屋を去って行った。

 一人静かになった部屋でヒューリは呟く。

「さて、私も頑張るとするかな」

 そう言うと、ヒューリは机の上に山積みになっている資料を一から整理整頓することに決めた。


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