麗しの狂者たち


ここは一先ず起きて謝った方がいいかもしれない。


そう心が揺らぎ始め、目を開くか開かないか迷っているところ、急に亜陽君の指がするりと滑り私の唇に触れ、思わず小さく体が反応してしまった。




「……美月が俺から逃げるなんて、絶対に不可能だから」


今度はどんな甘いことを言われるのか、期待に胸を膨らましていた最中。


何やら急に声色が変わり、これまでに聞いたことがない程の低くて冷めた声に、一瞬背筋がぞくりと震える。




……亜陽君?



彼の豹変ぶりに驚き目を見開くと、亜陽君は既に私に背を向けて、そのまま保健室から出て行ってしまった。



私は出入り口の方に首だけ向けた状態のまま、暫く呆然とする。
 



あれは一体何だったのだろう。 



幼い頃から亜陽君の側にいたけど、あんな喋り方は初めてかもしれない。



いつも私に語りかける時はとても優しくて穏やかなのに、さっきのはまるで……。



その時、朝のHRが始まる予鈴が鳴り響き、私は慌てて時計に目を向ける。


気付けば、そろそろ行かないと本当に遅刻してしまいそうな時刻を示していて、私はベッドから降りると急いで保健室を後にした。



教室に戻るまでの道中、先程言われた亜陽君の言葉が頭の中をぐるぐると駆け巡る。



“私は亜陽君から逃れられることは出来ない”



そもそも、逃れたいなんてこれっぽっちも思ったことはないし、浮気現場を目撃した今でも彼に対する愛情は変わらない。



というか、私は亜陽君にどうしようもなく依存している。



小さい頃から許婚として育てられたせいもあるけど、それ以前に私は亜陽君のことがずっと好きで、その気持ちは成長するにつれて更に深みにハマっていく。


だから、あの言葉が亜陽君の本心ならこんなに嬉しいことはないし、言い方に若干の疑問を抱くけど、彼が私を手放すつもりがないと確信出来れば、それだけで心の救いになる。



それなら、昨日のことはいっそのこと水に流してしまった方がいいのかもしれない……。


次第に譲歩し始めていく自分の心に戸惑いを感じながらも、一先ず頭を切り替える為に私は深呼吸を何度かした後。


スマホの画面ロックを解除し、生徒会のグループトークに謝罪のメッセージを送る。



そして、色々悩んだ結果、亜陽君個人にも改めて謝罪しようと決めた私は、彼とのトーク画面を開き、当たり障りない内容でメッセージを送信したのだった。

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