公爵令嬢ヘレーネの幸せな結婚
エリーザベトを焚きつけたアントンは責任を感じて、今夜は眠れそうになかった。
寝台に横になるが、目が冴えたままだ。
どうにかヘレーネの名誉回復への手立てがないか考えるが、妙案は何も浮かばない。
フランツ・ヨーゼフも酷なことをする。
見合い相手の妹がいいなら穏便に見合いを済ませ、見合い相手には別の縁談を与えてから、妹のほうに求婚すればいいものを。
皇帝が理性的に行動していれば、ヘレーネの公女としての体面は保たれ、無駄に傷つくことはなかった。
──それだけ、フランツ・ヨーゼフは周りが見えなくなるほど、エリーザベトに夢中という証左だ。
(ヘレーネはこのまま引き下がるつもりだろうか……)
そんなはずはない。
きっと、何か考え付く。
そして、何かしらの手を打つなら、今夜から動いたほうがいい。
寝台に転がっていたアントンは起き上がり、ヘレーネの宿泊先に向かうことにした。
無駄足だと分かっていても、彼女の助けに少しでもなりたかった。
外套を羽織り歩き出すと、目の前に見知った人影が飛び込んできた。
暗闇の中でも雪のような白い肌は目立つ。
アントンが目深に被ったフードを取って見せるとと、ヘレーネの表情は安堵に綻んだ。
久々に間近で見たヘレーネに、アントンの胸が高鳴る。
半年前の皇帝襲撃事件で混乱するウィーンにアントンが着き情報収集を終えたころ、ヘレーネはすでにウィーンから出発しバイエルン王国へ向かっていた。
バイエルン王国へ戻ってからは、オーストリア帝国皇帝との婚礼準備が本格的に始まり、多忙を極めるヘレーネは人前に出てくることはなかった。
「──手紙を、出したいのですか?」
「ええ、そうです。ザクセンにいる兄に」
アントンは安堵した。
ヘレーネはちゃんと名誉回復のため、起死回生の一手を打っていたのだ。
彼女の名誉回復には、オーストリア帝国フランツ・ヨーゼフとの結婚が必要だ。
オーストリア帝室の決定権をもつゾフィー大公妃は、ヘレーネを気に入っている。
椅子にじっと座っていられないエリーザベトが、厳格なウィーン宮廷の皇妃に不適任なのは自明。
娘の結婚の許可を与えるのは、親だ。
バイエルン公爵家の決定権を握るのは、放浪癖のあるバイエルン公爵マクシミリアン・ヨーゼフではなく、バイエルン王女として生を享けたルドヴィカ公爵夫人だ。
公爵夫人の意志が、この結婚の可否を決める。
そして、ルドヴィカ公爵夫人が溺愛しているのが、ヘレーネの兄である公世子のルートヴィヒ・ヴィルヘルム。
愛息子の言うことならば、公爵夫人は唯々諾々として従うだろう。
──オーストリア帝国の未来の皇妃はヘレーネになるのだ。
舞踏会で隅に追いやられ青褪めているより、双頭の鷲の翼下で黄金の椅子に座すべきだ。
「私を助けて下さっても、貴方が願った未来は叶わない。後悔なさらないかしら?」
そう問いかけたるヘレーネに、決して後悔しないと応えた言葉は嘘ではない。
王家の姫として育ち、未来の妃となるべく教育され、忍耐と教養を身に着けたヘレーネに相応しい場所がある。
それを運命の悪戯で安易に奪われてはならない。
トゥルン・ウント・タクシス家の名に賭けて、どこよりも速く届ける。
有事にしか使用しない緊急用の通信網を利用することにした。
地上で一番速いのは郵便馬車だが、天空を翔る伝書鳩は更に速い。
郵便馬車の一日分の距離を、伝書鳩は一時間で飛行することが可能だ。
通信の秘密という概念がない時代──。
誰が誰に手紙を出したのか、手紙の内容さえも、閲覧、謄写、検閲され詳らかされた。
だが、アントンはヘレーネが兄に宛てた手紙の中身を確認することはなかった。
速やかに郵便網に流し届けることだけを優先した。
(これで、いい。ヘレーネの幸せが、私の望みなのだ)
ヘレーネの輝かしい未来に役立てたなら本望だと、アントンは自分に言い聞かせた。
それ故に、オーストリア帝国皇帝の婚約発表を聞いて驚愕することになった。
寝台に横になるが、目が冴えたままだ。
どうにかヘレーネの名誉回復への手立てがないか考えるが、妙案は何も浮かばない。
フランツ・ヨーゼフも酷なことをする。
見合い相手の妹がいいなら穏便に見合いを済ませ、見合い相手には別の縁談を与えてから、妹のほうに求婚すればいいものを。
皇帝が理性的に行動していれば、ヘレーネの公女としての体面は保たれ、無駄に傷つくことはなかった。
──それだけ、フランツ・ヨーゼフは周りが見えなくなるほど、エリーザベトに夢中という証左だ。
(ヘレーネはこのまま引き下がるつもりだろうか……)
そんなはずはない。
きっと、何か考え付く。
そして、何かしらの手を打つなら、今夜から動いたほうがいい。
寝台に転がっていたアントンは起き上がり、ヘレーネの宿泊先に向かうことにした。
無駄足だと分かっていても、彼女の助けに少しでもなりたかった。
外套を羽織り歩き出すと、目の前に見知った人影が飛び込んできた。
暗闇の中でも雪のような白い肌は目立つ。
アントンが目深に被ったフードを取って見せるとと、ヘレーネの表情は安堵に綻んだ。
久々に間近で見たヘレーネに、アントンの胸が高鳴る。
半年前の皇帝襲撃事件で混乱するウィーンにアントンが着き情報収集を終えたころ、ヘレーネはすでにウィーンから出発しバイエルン王国へ向かっていた。
バイエルン王国へ戻ってからは、オーストリア帝国皇帝との婚礼準備が本格的に始まり、多忙を極めるヘレーネは人前に出てくることはなかった。
「──手紙を、出したいのですか?」
「ええ、そうです。ザクセンにいる兄に」
アントンは安堵した。
ヘレーネはちゃんと名誉回復のため、起死回生の一手を打っていたのだ。
彼女の名誉回復には、オーストリア帝国フランツ・ヨーゼフとの結婚が必要だ。
オーストリア帝室の決定権をもつゾフィー大公妃は、ヘレーネを気に入っている。
椅子にじっと座っていられないエリーザベトが、厳格なウィーン宮廷の皇妃に不適任なのは自明。
娘の結婚の許可を与えるのは、親だ。
バイエルン公爵家の決定権を握るのは、放浪癖のあるバイエルン公爵マクシミリアン・ヨーゼフではなく、バイエルン王女として生を享けたルドヴィカ公爵夫人だ。
公爵夫人の意志が、この結婚の可否を決める。
そして、ルドヴィカ公爵夫人が溺愛しているのが、ヘレーネの兄である公世子のルートヴィヒ・ヴィルヘルム。
愛息子の言うことならば、公爵夫人は唯々諾々として従うだろう。
──オーストリア帝国の未来の皇妃はヘレーネになるのだ。
舞踏会で隅に追いやられ青褪めているより、双頭の鷲の翼下で黄金の椅子に座すべきだ。
「私を助けて下さっても、貴方が願った未来は叶わない。後悔なさらないかしら?」
そう問いかけたるヘレーネに、決して後悔しないと応えた言葉は嘘ではない。
王家の姫として育ち、未来の妃となるべく教育され、忍耐と教養を身に着けたヘレーネに相応しい場所がある。
それを運命の悪戯で安易に奪われてはならない。
トゥルン・ウント・タクシス家の名に賭けて、どこよりも速く届ける。
有事にしか使用しない緊急用の通信網を利用することにした。
地上で一番速いのは郵便馬車だが、天空を翔る伝書鳩は更に速い。
郵便馬車の一日分の距離を、伝書鳩は一時間で飛行することが可能だ。
通信の秘密という概念がない時代──。
誰が誰に手紙を出したのか、手紙の内容さえも、閲覧、謄写、検閲され詳らかされた。
だが、アントンはヘレーネが兄に宛てた手紙の中身を確認することはなかった。
速やかに郵便網に流し届けることだけを優先した。
(これで、いい。ヘレーネの幸せが、私の望みなのだ)
ヘレーネの輝かしい未来に役立てたなら本望だと、アントンは自分に言い聞かせた。
それ故に、オーストリア帝国皇帝の婚約発表を聞いて驚愕することになった。