ネイビーブルーの恋~1/fゆらぎ~
第3章 心から

第11話 ネイビーブルー

 年が明けて、予定していた通り、莉帆は休日に佳織と会うことになった。人通りの多い地下街に行くのは久しぶりで、少し早く到着してしまった。正月三ヶ日は過ぎているので人出も戻っているようで、仕事へ向かうサラリーマンや休日に集まった学生たちの姿も多かった。待ち合わせ場所は駅の改札近くにしたので、電車から降りてきた人たちがそれぞれの目的地のほうへ流れていくのをしばらく見ていた。
 勝平や悠斗とは、クリスマスのイベント以来会っていない。二人とも年始の挨拶は送ってくれていたけれど会う予定は入っていないし、勝平とはまた気まずい別れ方をしてしまった。彼が莉帆の恋人になれる可能性はある、という話が最後だったので笑顔で別れたけれど、彼が何を思ったかは莉帆にはわからない。
「莉帆ー! おまたせ!」
 佳織の明るい声に莉帆は気分を切り替えた。
「待った?」
「ううん。楽しみすぎて早く来たけど、あちこち工事してて迷子なりかけたから良かった」
 毎日のように来ていると気づかないけれど、工事がいつまでも続いているのでたまに来ると必ず迷子になる。地上も常に変化しているので地下のほうが分かりやすいと思ったけれど、ここへ来るのが久々すぎて違う場所のように感じてしまった。ちなみに莉帆と佳織は学生時代、とある商業ビルの中で迷子になって気づいたときは違うビルにいた、という経験がある。
「なに食べる?」
「軽く食べてさぁ、後でお茶しよ」
 昼前に待ち合わせていたので、まずは腹ごしらえをする。莉帆はそこまで遠くないけれど佳織ははるばる来てくれたので、ちゃんと米を食べることにした。メインおかずの他に和惣菜をいくつか選べる店に入り、近況を話し合った。
「佳織は名古屋に慣れた?」
「まぁ、うん。関西か関東かどっちかわからんことがよくあるけど、食べ物美味しいし、仲良くしてくれる人も出来たし。あっ、これ、はい」
「え? わぁ、ありがとう!」
 佳織が莉帆に渡したのはお土産──ういろうとえびせんべいだった。莉帆はそれが好きだと前に話していたのを、佳織は覚えてくれていた。
「莉帆はどう? 何か進展あった?」
 佳織は敢えて言わなかったけれど、それは悠斗と勝平のことだろう。
「うーん……あったと言えばあったけど、ないと言えばない」
「どういうこと? どっちなん?」
「仲良くはなりかけてるんやけどね……。こないだも勝平さんがマンションまで送ってくれたし」
「えっ、デートしたん?」
「ううん。クリスマスのイベントで二人が歌うって聞いたから聴きに行って、その帰り。ご飯行こうって話してたんやけど悠斗さんは先に帰ったから……」
 マンションの前で車を降りてから勝平は笑顔で帰っていったけれど、少し悲しそうにも見えた。莉帆が冬の出来事を自分の感想を交えて話すと、佳織は莉帆に言った。
「もしかしたら悠斗さん──気つかって先に帰ったんかもな」
「え? 用事なかったってこと?」
「たぶんやけど。旅行の頃から勝平さん、莉帆のこと好きそうな感じやったし、悠斗さんも気付いたんちがう? 知らんけど」
 もしそれが当たっていれば、嬉しいけれど、少し複雑だ。莉帆は悠斗のことも気になっているので、どうせなら二人のことをちゃんと知っていきたい。もちろん、いまの時点では、どちらかを選ぶのは無理だ。
「良いねぇ、若者は」
「ちょっ、私、佳織と一歳しか変われへんし、何やったら大学で同じクラスやったし!」
「はは。そうやなぁ、悠斗さん、彼女いるんやったら諦めるしかないけど……どっちかというと、私は個人的には悠斗さんが良いかな。お洒落っぽいし」
「やっぱりそうかなぁ? お洒落で選ぶと」
「いや、勝平さんがお洒落じゃないっていうんとちゃうで。そのへんは莉帆のほうが知ってるやろうし、あくまで私のイメージ」
 ああでもないこうでもない、彼らのあの感じは今でもそうなのか、という話をしながら食事を済ませ、満腹になって二人で店を出た。
 あとでお茶をしに入る店を選びながら、地下街の店を順番に見ていた。買い物は一人でも良いけれど二人のほうが意見を言い合えるので買うかどうかの決断をしやすい、こともあれば、正反対の意見になって結局なかなか決まらないこともある。
「莉帆、ごめん、お手洗い行ってきていい?」
「うん。私、このへんで待ってるわ」
 佳織が行くのを見送ってから莉帆は近くの店を何軒か見ていた。一番近いお手洗いでも少し距離があるので、佳織はすぐには戻れないだろう。
 歩いているうちにメンズファッションのエリアに入ってしまったので、近くの広場のベンチに座って待っていた。以前ここには噴水があったけれど、いまは撤去されてベンチがいくつか設置されている。時期によっては季節の花やオブジェが飾られることもある。
「あっ、おまえ、莉帆!」
「──えっ、なんで」
 佳織が気付かない可能性を考えて、LINEに連絡を入れようとしたときだった。声を聞いただけで背筋が凍ってしまったのは、莉帆が逃げてきたはずの元彼が目の前に立っていたからだ。
「勝手に出ていって、別れるってどういうことや、戻ってこい、帰るぞ」
「やめてっ」
 元彼は莉帆の腕を掴み、強引に引っ張った。莉帆は抵抗するけれど、力の差がありすぎて負けて立ち上がってしまう。
「離して!」
「来い!」
 近くにいた人が助けに来てくれたけれど、元彼は諦めなかった。莉帆の腕を掴む力も強くなり、ずるずると引っ張られる。
「やめてっ、痛い、離してっ」
「おい、嫌がってるやろ、離せ」
「あ? おまえ関係ないやろ、引っ込んでろ!」
 強そうな男性が来てくれたけれど、それでも状況は変わらなかった。痛いのと、こんな男と同棲していた事実がショックなのとで、莉帆は涙が出た。思いきり力を出して元彼の手を剥がそうとしたけれど、莉帆の力ではどうにもならなかった。
「お巡りさん! こっちです!」
 見ていた誰かが警察を呼んでくれていたようで、遠くからバタバタと走ってくる足音が複数聞こえた。視界の隅に濃紺の制服がちらちらと入っては消える。
「ちっ……くそっ……覚えてろよ!」
 元彼は周りの男性たちをなぎ払い、走って逃げていった。警察官も一人走って追っていってくれたけれど、雑踏の中で見失ってしまったらしい。
「大丈夫か? 今の男は知り合い?」
「はい……」
 一人の警察官に支えられながら先程のベンチに戻ったけれど、莉帆は恐怖で震え、顔を上げることは出来なかった。もう一人の警察官は、目撃者に事情を聞きながら周囲の人だかりを散らしてくれていた。
「莉帆! 大丈夫?」
 人だかりを掻き分けて戻ってきた佳織に抱き締められ、莉帆はようやく少し体を起こした。それでも震えが止まらずにいると、近くのアパレルショップの従業員が親切にストールを持ってきてくれた。
「怖かった……」
「怪我してない?」
「うん、ちょっと痛いけど大丈夫」
 佳織が莉帆の心配をしていると。
「ちょっと待て、いま何て……君らもしかして──莉帆ちゃんと、佳織ちゃん?」
「……え?」
「やったら今のは──例の元彼か……?」
 落ち着いてからよく聞くと、莉帆にはとても聞き覚えのある声だった。隣にいる警察官を佳織と一緒におそるおそる見上げると、それは──。
「勝平さん……?」
 想定外の展開に、三人とも驚きを隠せなかった。
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