ネイビーブルーの恋~1/fゆらぎ~

第12話 しまり、ゆるむ

 莉帆が落ち着くのを待ってから、地下から出て最寄りの交番に行った。その前に莉帆は借りていたストールを返そうと店に行ったけれど、従業員の好意で貰えることになった。莉帆に届けられた時点で、既にタグも外されていたらしい。
 莉帆は警察官と一緒に歩いたことはなかったし、そんな想定もしていなかった。元彼のことを相談しに警察へ行く可能性はあったけれど、実際に被害に遭って、しかも駆けつけたのが知り合いだったのは想定外でしかない。
 子供の頃、落し物を届けて親と一緒に交番に行ったことはある気がするけれど、そのときのことはほとんど覚えていない。大人になってからは車の運転免許関連で何度か警察署に行っているけれど、あの無機質で冷たくて悪くなくても居心地の悪い建物と比べるとマシではあるけれど、交番もそれほど居心地は良くはない。
 様々な聴取を受け被害届を出したあと、莉帆と佳織は奥の部屋に通されることになった。
「悪い、ちょっと部屋使うわ。何かあったら声かけて」
「はい……わかりました」
 隣で話を聞いていた勝平の部下は、三人の事情を察してくれたらしい。
 ドアを閉めて席についてから沈黙があって、最初に口を開いたのは勝平だった。
「ごめん、黙ってて……。隠すつもりはなかったんやけど、警察って言ったら、嫌がられるかと思って……ごめんなさい」
「そんな、頭上げてください」
 勝平が帽子を脱いで頭を下げるのを、莉帆は慌てて止めた。
「確かに──警察って聞いたら、避けてたかもしれないですけど……納得しました」
「私も。初めて会ったときから妙な安心感があって……なるほど。てことは、悠斗さんも一緒?」
「うん。約束してたときにドタキャンになったのは、事件が起こったからで……ほんまに、申し訳ない」
 勝平が再び謝ろうとするのを、今度は莉帆と佳織は立ち上がって止めた。ウィーンでオーケストラの帰りに誘導してくれたのも、莉帆に相談に乗ると言ってくれたのも、元彼のことを聞いてきたのも、きっと正義感から来たものだ。そんな優しい彼らに謝られるのは心がとても傷んだ。
「でも……嫌やろ? 警察とは仲良くしたくないやろ?」
 勝平は前を向いていたけれど、不安そうな顔をしていた。職業が警察だと知られてから距離を置かれた経験があるか、もしくはそういう周りの話を聞いたのだろう。少しでも悪いことをしたら怒られそうで、でも不祥事のニュースもよく目にして、警察に対するイメージは良くも悪くもなる。
「そんなことないですよ」
 莉帆が笑い、佳織も頷いた。
「いろんな謎が解けたし、やっとちゃんと、信じられそうです。逆に良かったです、勝平さんが警察で」
 常に側にいて守って貰いたい、とまでは言わないけれど、警察官の知り合いがいるだけで心強いし、これからは些細なことでも相談しようと思った。次にどこで元彼に遭遇するかわからないけれど、彼なら絶対に守ってくれると思った。
「嫌いになったりは、しないです」
「……良かった。ありがとう。……二人で大丈夫?」
「はい」
 用件が済んだので部屋を出ると、勝平の部下は暇そうにしていた。外を見ていても特に何もなく、電話も全く鳴っていないらしい。
 そのまま莉帆と佳織は外に出ようとしたけれど、莉帆はふと思ったことがあって勝平を振り返った。
「勝平さん、近いうちに二人で会えますか? いろいろ、話聞きたいです」
「──わかった、また連絡する。絶対、早めにするから」
 その言葉を聞いてから、莉帆は笑顔になった。そして今度こそ交番を出て、佳織と決めていたカフェを目指した。

 割りとすぐに勝平から『無事に帰れますように』とLINEが来ていたので、莉帆は帰宅してから『家に着いた』と連絡した。あのあと佳織は近くにいてくれて、なるべく元彼が来ないような場所を通って駅まで戻った。電車は二人は違ったけれど、莉帆は無事に最寄駅まで来れた。
「何事もなく、晩ごはん食べてから帰ってきました。今は部屋でのんびりしてます」
 勝平はスマホを見ていたのか、すぐに既読になった。
『それは何より。俺も今日は、これから帰ります。……電話しても良い?』
「はい」
 すぐに電話がかかってきて、莉帆は緊張しながら出た。彼とは昼間に会ったけれど、電話をするのはまた別の話だ。
「勝平さんは、いつもあそこで働いてるんですか?」
『今はな。もともと私服警官に憧れて警察になったけど、交番のほうが向いてるんかなぁ。事件を追ってるよりは──、ごめん、こんな話、要らんよな』
「いえ……その話、もっと聞きたいです」
『聞きたい? ……莉帆ちゃん、いまから会える?』
「え? 今からですか?」
 莉帆は自分の服装を確認した。楽な格好をしているけれど着替えれば何とかなるし、お風呂はまだなので化粧もしたままだ。軽く整えれば問題ないだろう。
『もう化粧落としたりしてた?』
「いえ……」
 それでもこの時間に外に出るのは、さすがにまだ怖い。
『莉帆ちゃんさえ嫌じゃなければ、行って良いかな……』
 普段は誰も来ないので部屋はあまり片付けてはいない。
 それでも勝平を招くことにしたのは、彼に会いたかったからだろうか、それとも、話し相手が欲しかったからだろうか。
 身なりを軽く整えてから部屋を片付け終えた頃、インターホンが鳴った。ドアを開けて見た勝平はスーツを着ていたけれど、帰るだけだからか少し着崩していた。上着はボタンを留めていないし、ネクタイも緩んでいる。
「先に言っとくわ、下心はないから安心して!」
 勝平は笑っていたけれど、何かあったら警察に連絡して良いと言っているので嘘ではないだろう。
「はい……。どうぞ」
「お邪魔します」
 勝平が座って落ち着いている間に、莉帆は温かいお茶を入れた。窓を揺らす風の音が聞こえるし、外は寒かったはずだ。
「もっとちゃんと聞いとけば良かったな」
「何をですか?」
「莉帆ちゃんの──元彼のこと。あそこまでとは思ってなかった……反省」
 莉帆の一人暮らしのマンションにはソファがないので、勝平は床で胡座(あぐら)をかいていた。テーブルにお茶を置いてから、莉帆は彼の向かいに座った。
「俺、子供の頃に親父が通り魔に遭ってな」
「えっ、──もしかして」
 莉帆は悪いことを想像したけれど、勝平は笑ってそれを否定した。
「いや、今もピンピンしてるわ。ただ、包丁で襲われたから、その傷は消えへんみたいやけど」
「良かった……。それで、勝平さんは警察に?」
「まぁ、そうやな。さっきも言ったけど、もともと刑事ドラマの影響で私服警官には憧れてて、そうなりたくてやってきたけど……気付いたら交番の仕事が好きになってたわ。刑事になったら事件を追うことになって──それだけじゃないやろうけど──、それよりは、罪のない人が被害に遭うのを防ぎたいし。親父のときみたいな通り魔もやし、今日のことだってそう」
 勝平は話すのを止めて莉帆の方を見た。
「話を聞いてる限りでは、莉帆ちゃんに罪はない。今日はたまたま助けられたけど、あいつ逃げたから安心はできへん」
 元彼は逃げる直前に、莉帆に〝覚えてろ〟とも言っていた。この先も探されて襲われる危険はある。
「だから、お願い、昼間もいっぱい聞いたけど、言ってないことあったら全部教えて。どんな些細なことでも良いから」
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