ネイビーブルーの恋~1/fゆらぎ~

第9話 内緒のクリスマス

 世の中は既にクリスマスムードになっていたけれど、莉帆にはそれは無縁だった。友人は遠くに引っ越してしまったし、付き合っていた恋人からは逃げてきたし、仲良くなりかけた勝平とは距離を取ってしまった。
 独り身の莉帆には休日の繁華街は辛かったけれど、行きたい店があったので明るい時間に一人で歩いていた。周りはあまり見ないように──けれど一応は元彼に気をつけて──、買い物を済ませてから店の外に出ると、声をかけられた。
「莉帆ちゃん?」
 振り返ると、悠斗が近寄ってきていた。
「買い物? 一人?」
「はい……。びっくりした、岩倉さんは休みですか?」
 ときどき連絡はくれていたけれど、莉帆が悠斗と会うのは久しぶりだった。悠斗も買い物をしていたようで、片方の肩にかけたリュックは少し膨らんでいた。
「あっ、それ、前から言おうと思ってたんやけど、悠斗で良いよ。勝平も〝名前で良い〟って言うんちゃうかな。今日は俺、久々に時間取れたから、CDとか楽譜とか見てた」
 笑顔で言う悠斗を思わず見つめてしまった。身体は細身で雰囲気も柔らかくて、莉帆より歳上のはずなのに大学生くらいに見えるときがある。どこから見ても華やかさがあって、アイドルでも通用しそうな気さえする。
「……楽譜?」
 変な間が開いてしまう前に、莉帆は気になった単語を拾い上げた。
「あー……実はあの旅行以来、改めてクラシックに興味が湧いたというか、ちゃんと聞いてみようかなって思うようになって」
 楽器を習ったことはないけれど友達に教えてもらった範囲でピアノやギターは少しだけできる、と悠斗は笑った。
「へぇ……。楽器できる男の子が周りにいなかったから、なんか嬉しいな」
「そう? まぁ、珍しいよなぁ。はは、でも、学校とかピアノで習う音楽家って、だいたい男やけどなぁ」
 ハノン、ブルグミュラー、バッハ、モーツァルト、シューベルト、ショパン、など。学校の音楽室に飾ってある肖像画は大体がクルクルカールのかつらを被った男性だ。ベートーベンは、自毛らしいけれど。
 それがどうして、日本では楽器といえば女性というイメージになったのだろう、と二人で笑った。男性で楽器ができる人もたくさんいるけれど、莉帆も男の先生に音楽を習ったことがあるけれど、出会ってきたのは圧倒的に女の先生だ。
 莉帆はこのあと帰る予定にしていたけれど、悠斗に誘われて近くのカフェに入ることになった。ちょうどお腹は空いていたし、彼とも二人で話してみたかった。
「ところで莉帆ちゃん──勝平と何かあった?」
 悠斗は真剣な顔で聞いていた。店に入って席に着き、テーブルに置いてある端末から注文をした後だ。
「いえ……別に……」
「あいつ珍しく凹んでるから」
 仕事ではいつも明るく振る舞っていた勝平が、難しい顔をしている時間が増えたらしい。
「ややこしい仕事のときもそんなことなかったのにな。どうしたんや、って聞いたら、何とは言わんかったけど、莉帆ちゃんが……、って名前出てきたから」
「たぶん──私が一方的に電話を切ったからやと思います」
 莉帆は勝平との出来事を悠斗に話した。二人で会う予定にしていたのが勝平の仕事でキャンセルになり、彼からの連絡を待っている間にまた少し男性不信になってしまったこと。元彼のことを忘れる時間が欲しかったこと。
「勝平さんは悪くないのに、私がきつく言ってしまったから……やっぱり、怖いのもあって」
「なるほどね……。莉帆ちゃんは、あいつのことどう思ってる?」
「え? ──それは」
 好きか嫌いかと聞かれれば、どちらかというと好きだ。佳織と話したあと莉帆はまた悩み、その答えになった。けれど情報が少なすぎるので、あくまで友達としてだ。
 それを言うと悠斗は笑い、勘が正しければ、と続けた。
「たぶん勝平は、莉帆ちゃんにフラれた、っていうくらいの気分になってるんやと思うわ」
「えっ、それは、そこまで言ってないというか、そもそも……」
 勝平とは悠斗以上に連絡を取っていたけれど、関係が変わる話はしていない。直接会っていたときも、何も言われていない。ただ──彼の態度からそんな気はしていたけれど、莉帆は敢えて気付かないふりをしていた。
「莉帆ちゃんが勝平と付き合ったら、ショックやなぁ」
「……え?」
「いや……はは、ずっと彼女いない同士でやってきたから、悔しいというか……」
 もしかすると悠斗も、莉帆のことが気になっているのかもしれない。けれど悠斗はそれ以上は何も言わず、ちょうど届けられたランチプレートを受け取って、トレイからスプーンを出した。
「二人とも、すぐ彼女できそうやのに」
「いや……、そんなことないで。まぁ──寄ってくる女の子は多かったけど──。莉帆ちゃんも知ってると思うけど急に休みがなくなったりして、嫌みたい」
 悠斗はオムライスを食べながら悲しそうな顔をしていた。莉帆が注文したサンドイッチも届けられたので、話を聞きながらひとつを手に取った。
「俺のことはまた話すとして──、勝平は良い奴やから。強引なとこあるから疲れるかもやけど、それが長所でもあるし。俺より純粋かもしれんなぁ……。あ、今度、イベントで俺ら歌うから見に来て!」
「イベント? ……クリスマスのですか?」
「そうそう。勝平には内緒にしとくから」

 悠斗が勝平と一緒に歌う、というクリスマスイベントに莉帆はこっそり顔を出すことにした。幸い、それは昼間だったので、一人でも大丈夫だった。
 会場はショッピングモールの敷地内だったので、莉帆は早めに行って買い物をしていた。アパレルや雑貨の店を数軒まわりながら会場になった広場を通りかかると、勝平と悠斗が他のスタッフたちと一緒に準備しているのが見えた。忙しそうだったので声はかけなかったけれど、悠斗は気付いてこっそり手を振ってくれた。
 軽めに昼食を取って、飲み物をテイクアウトして莉帆は会場へ行った。天気は良いけれど海が近い街の冬は風がとても冷たいので、選んだのは温かいココアだ。悠斗が教えてくれた出演予定時間には間に合っているけれど、ステージイベントは始まっているので用意された席は既に埋まっていた。莉帆はこっそり来ているのもあって、柱の陰に隠れるように立った。
 マジックやキャラクター、トークショーのあとが音楽ステージだった。有名なミュージシャンではなく、あくまで趣味で楽しんでいる人たちだ。子供から年配者まで各世代がそれぞれの発表をしたあと、最後に出てきたのが悠斗と勝平だった。
 彼らの服装は私服もスーツも見ていたけれど、そのどれよりも格好良く見えたのは季節のせいだろうか。寒いのでコートを着て、マフラーもしていた。見えるものは少ないけれど、センスが良くてそれだけで見惚れてしまった。近くにいた女性グループからも『格好良いな』という会話が聞こえ、莉帆は少し嬉しくなっていた。
 そして何より、歌が上手かった。二人は楽器は一切使わず、クリスマスソングを中心に何曲かをアカペラで歌っていた。オリジナルから少しアレンジして、ハモり方も綺麗だった。
 もし勝平と一緒にカラオケに行っていたらこの歌声をもっと聴けたのに、と悔しくなるほどだった。どちらかといえば勝平は力強い話し方をするけれど、悠斗の話し方のような柔らかい歌声だった。二人がときどき役割を交代していることに莉帆は気付いたけれど、もしかすると観客の多くは気付いていないかもしれない。それくらい、二人の世界に引き込まれていった。
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