つれない男女のウラの顔

「花梨」

「は、はい」


突然名前を呼ばれて、思わず息を呑んだ。

成瀬さんに名前を呼ばれたのは恐らく初めてだ。正直言うと、覚えられていないと思っていたから。

ただ名前を呼ばれただけなのに胸が弾んだ。思わずにやけそうになるのを必死で耐えていると、成瀬さんが静かに口を開いた。


「もしかして、顔が赤くなってないか?」

「え?!」


待って!どうしてバレた?!もしかして覗かれてる?!

驚きのあまり心臓が止まるかと思った。慌てて隣を確認したけれど、そこにあるのはやっぱり壁だけ。


「なっ、なぜそんな質問を…」

「今日は結構蒸し暑いから、もしかしてと思って」

「あ…あーなるほど?そうですね、確かに少し火照ってきました…」


嘘です。確かに赤くはなってますけど、違う理由で火照っています。

彼の言う通り、夜だというのにじめっとした暑さを感じるけど、この赤面は決して気温のせいではない。

でも本当の理由は言えないから、咄嗟に嘘をついてしまった。


「なら、そろそろ部屋に入るか」

「え…」


そして私は、嘘をついてしまったことを早速後悔した。

この時間が、もう終わる。そう思った瞬間、なぜだかとても寂しく感じた。


「トマトありがとう。明日の朝食でいただくよ」


何も言葉を返せないでいると、成瀬さんの足音が鼓膜を揺らし、続けて窓を開ける音が聞こえてきた。どうやら彼は、本当に部屋に入ってしまうらしい。


「あのっ、成瀬さん…」


考えるより先に彼を呼び止めていた。
彼の足音がピタリと止まり「どうした?」と心地よい低音が響いた。


「私、よくこの時間にプチトマトを観察するんです」

「?…そうか。熱心に育てているんだな」


口をついて出た言葉に、成瀬さんは若干困惑しながらも返事をしてくれた。

でも違うの。私はそんなことが伝えたいんじゃなくて…。


「だからその…また話しかけてもいいですか?」
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