黒聖女は今生では騙されずに一人で生きていく!…でも呪われた公爵様と結婚する事になってしまってます

第1話 前世の記憶

 夢を見ていた。

 長い夢は断片的で、その中で私は不可視の黒聖女と呼ばれていた。
 まだ夢の中にいるような気持ちでぼんやりと起き上がると、頭がずきずきと痛んだ。

「……痛い」

 その痛みで、先程あった事を思い出す。
 これは魔力が制御できなかった痛みだ。

『マリーシャの魔力は膨大で素晴らしい。でも魔術がいつまで経っても上達しないのでは、これ以上待ってあげられなくなってしまうよ』

 婚約者候補である王太子のハインリヒの言葉が蘇ってくる。

 ハインリヒが教えてくれた魔術を、私はもうずっと練習していた。
 難易度が高い魔術で大きな火柱が立つというものだったが、今日も上手く構成を作ることができなかった。今まで一度も成功していない。

 彼の残念そうな目に、何度も胸が痛んだ。
 いつかできるよ、大丈夫。そう微笑んでくれる彼の期待に応えられない事が苦しかった。

 ハインリヒはいつも私に優しい。

『いくら好きな君だとしても、これができないと君を婚約者にしてあげることは出来ない。君の義妹のカノリアは、もう一年も前にこの魔術を成功させているんだ』

 そんなハインリヒから、ため息と共に告げられた言葉に目の前が真っ暗になった。

 私の魔術が上達しないからいつまでも婚約者候補で止まってしまっていたし、義妹であるカノリアは確かに魔術の才能があった。

 それに、ハインリヒとも魔術の話でいつもとても楽しそうにしている。

 ……それでも私を婚約者にするために、ずっと彼は魔術を手ずから教えてくれていた。

 そんなハインリヒの期待に応えなくてはと焦った私は、彼と別れた後も一人魔術訓練所に向かった。
 そして何度も何度も繰り返して魔術を試みて、その結果魔力が制御しきれずに身体の中で暴走してしまったのだ。

 そのまま気を失っていたのか、あたりはもう真っ暗で、自分のベッドに居た。

 誰が運んでくれたのだろう。

 あちこち痛む身体に、大失敗を突き付けられる。
 不甲斐ない自分に涙が出る。

「ハインリヒ殿下に心配をかけてしまったかも。……変な夢も見ちゃったし」

 変な夢。

 普通に考えたらそうだ。
 でも、とてもそうだとは思えない程はっきりと思い出せる。

 色々な魔術を使いこなせていた、不可視の黒聖女。
 目を瞑ると魔術の構成も細部まで思い出すことができた。

「……もし、本当にこれが私の前世だとしたら」

 口に出すと、馬鹿みたいだった。

 しかしその甘い考えに居てもたってもいられず、私はいそいで自宅の魔術訓練所に飛び出した。
 夜中の屋敷の中は静かで、辺りには誰もいない。

 もし不可視の黒聖女が私の前世なら、ハインリヒの望む私になれる。

 期待で胸がどきどきとして、いつもなら絶対にしないが訓練所まで走ってしまった。

 普段しない事にすっかり息が上がってしまったけれど、込み上げる期待の前に全く気にならない。

 訓練所は当たり前だけれど誰も居なくて、静かだ。
 暗闇の中、私ははやる気持ちを抑えつつ魔術の構成を作った。

 今日も散々練習していた魔術。でも、これから試すのは今日まで試していた構成とは全く違う。
 夢で見た、あの構成だ。

 私は魔力を編み構成を作成し、魔術を放つ。

 私が作った構成は正しく作用し、大きな炎の柱を作った。
 当然のように。
 音はなく、熱風だけが辺りを襲い、消えた。

「やっぱり使えるわ! 構成の違和感はこれのせいだったんだ」

 私が魔術を苦手だったのは、きっと前世の記憶が邪魔していたせいだ。

 私の魔力はいつも思うように構成を描かなかった。
 同じ魔術でも構成は人によって違うものなので、自分が理解しイメージを確立し、その魔術を作り上げなければいけない。

 私は構成をつくるのが苦手だった。習ったことをもとにして構成を考えても違和感があって、どうしてもうまく作り出せなかった。

 勉強をたくさんしても、ハインリヒや他の人の構成を参考にしても意味がないはずだ。今使った私の構成は、他の人と基本的な作りが違った。

「やった……本当にできた……」

 今までどんなに頑張っても、全くできなかった魔術が簡単に完成してしまう。
 あまりの万能感に、頭がくらくらとする。

 私は興奮して色々な魔術を試してみることにした。

 炎、氷、水、一番得意な聖魔術は一人だったために使えなかったけれど、きっとそれはもっとずっと簡単に使えるはずだ。

「これならハインリヒ様も間違いなく喜んでくれる」

 屋敷の魔術訓練所で、私は興奮し飛び跳ねた。
 私が魔術を苦手なせいで、婚約者候補で止まってしまっているハインリヒのことを思うと笑みが浮かぶ。

 失望されそうになっていたけれど、これなら問題ないどころかすぐさま私のことを婚約者にしてくれるはずだ。
 これだけ使えれば、間違いない。

 夢じゃなくて、あれは私の前世だ。
 私は今、きっと魔術は何だって使える。

 聖魔術以外だって、前世では苦手だったけれど今までと比べたら雲泥の差で使えている。すっかり自分に馴染んでいる魔術陣がするすると組みあがる。

 さっき成功させた炎の魔術だって、私の中ではかなり弱かったはずだ。

 聖魔術以外適性がほとんどないのだ。
 私の魔術が生きるのは聖魔術だけ。

 聖女と呼ばれるほどの聖魔術は、きっと今までだって練習すれば下手なりに使えただろう。

 ……努力の方向が間違っていたなんて。

 今までの苦労が徒労だった事がわかって、私はなんだか呆れた気持になった。
 もし使えていたらあっという間に宮廷魔術師にもなれた。
 それ以上だって。

「でも回復も聖魔術も、使える人が殆どいないから、試さないわよね……」

 歴史上でも、数人しか使えない魔術だ。
 ハインリヒはきっとこの事に喜んでくれるだろう。

 この国では、魔術の能力の高さが貴族としての力ともなる。私は宮廷魔術師を凌駕するほどの魔力だということで、あっという間に王太子の婚約者候補に選ばれた。

 それに、ハインリヒは単純に魔術が好きだったから、たくさんの魔力がある私と色々な魔術を試したいと笑いかけてくれた。

 婚約者候補として選ばれた日、父は嬉しそうに笑い義理母と義義妹はさらに私に冷たくなった。
 兄はもともと私に関心がないようで、話しかけられた記憶すらない。

「ライティング」

 魔術を発動させると暗かった訓練場が、ぱっと明るくなる。
 沢山の光の玉はぼんやりと明るく、幻想的だ。

 私は光がゆらゆらと揺れるのを、ぼんやりと眺める。

 ハインリヒと家族になりたかった。
 前世も家族はいなかったから。

 ……そうだ。思い出したあの記憶は夢なんかじゃなかった。

 改めてその事実を実感すると、みるみる嬉しかった気持ちがしぼんでいく。

「私が不可視の黒聖女だなんて……本当、嘘みたい」

 前世では私は不可視の黒聖女と呼ばれていた。

 戦場でその姿を見ることは誰もできないという事を、恐怖と共に揶揄した呼び名だ。
 前世の私の周りには死が溢れていた。
 驚くほど強いその力を、存分に使った。誰もがそう望んだから。

 戦争に率先して参加し、圧倒的に成果をあげていた私は遠巻きにはされていた。それでも、死線を共にした仲間とは絆がある、そう思っていた。
 これが私の家族だと。

 しかし戦争が終わったら危険だという理由で、信頼してくれていると思っていた王族に魔術を封じられ処刑された。

 今でも不可視の黒聖女は、圧倒的な力でこの国を大国に押し上げた功労者として語られている。
 半ば伝説の人物だ。

 ……伝えられている死因は、戦争の為に魔力を使い果たしたからという嘘となっているけれど。

 それが、前世の私。

「……私はヴァーラシス殿下に、殺された」

 言葉にしてみると、自分が殺された時の過去の記憶が押し寄せてきた。
 魔術陣が起動したときの苦しさが蘇り、手が震え、息苦しさを覚える。

 あまりにも生々しく蘇ってきた記憶。

 貴族には平民だと見下されていたが、周りの人は私の実力を認めてくれて頼ってくれていると思っていた。
 はじめて勝利したときは、ヴァーラシス殿下が初めて笑いかけてくれた。

 あの時も、戦争が終わったよくやった、皆で勝利を祝おうと笑いあった。

 報われたと思っていたのに……。
 じわりと視界がぼやける。私は震える手を握り込み、呟いた。

「……私、前世では利用されて騙されたんだわ」

 涙をごしごしと擦って、両手を見つめる。

 私の事を殺すことを彼はずっと計画していた。
 あんな風な気持ちは、もう嫌だ。

 思いついて、一度魔術の構成を編み込む。
 今度は記憶がよみがえる前の構成を。

 ずっと練習していた火の魔術。
 下手くそで、絶対に発動しない構成しか作る事ができなかった魔術。
 それを再現しようと。

「……これは駄目だわ」

 けれど、出来上がった構成は前世と同じものだった。
 何度か作ってみたが、もう以前のように不完全なものを作るのは難しかった。

「前世の記憶がよみがえった事、隠しておくのは難しいかもしれない」

 しみついた感覚が、記憶と共に戻ってしまった。

 ハインリヒは急に魔術が使えるようになった私のことを不審に思うだろう。
 不可視の黒聖女の記憶がよみがえったといえば、彼は喜ぶとわかっていた。ずっと私の魔術が上達することを望んでいたから。

 ……でも、もしまた騙されてしまったら。

 王家に私が黒聖女だと知られたら、再び利用しようと考えるかもしれない。
 そもそも、私は魔力の多さで婚約者候補に選ばれている。
 その意味は考えたくなかった。

 大好きなはずのハインリヒのことを信じていたいのに、その疑いは私の胸に黒く広がり途方に暮れた。
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