条件は飼い犬と一緒に嫁ぐこと

第6話 フォンス侯爵邸へ

 あれよあれよと馬車に乗せられ、我に返ったのは、それから数時間後のことだった。私は向かい側に座るメイド長らしき人に声をかける。
 リヴェは器用に、座席の上で体を伏せていた。

「あ、あの。どこに向かっているのでしょうか」
「フォンス侯爵家にございます」
「え? サンキーニ男爵家ではないのですか?」

 私が驚いていると、隣りにいるリヴェが「うぅ〜」と唸る。

「申し訳ありません。説明をし忘れてしまいました」
「いえ、手順は逆ですが、説明していただけるのであれば大丈夫です」

 何故かメイド長らしき人は、急に血相を変えて謝り出す。これでは逆に、私の方が申し訳ない気持ちになってしまった。

「ありがとうございます。噂に聞いていた通り、優しい方なのですね」
「噂?」
「ワン!」

 メイド長らしき人に向かって吠えるリヴェ。私は慌てて止めた。

「ダメよ、リヴェ」
「くぅ~ん」
「えっと、話の続きをお願いします」
「そ、そうでした。実は、サンキーニ男爵様との縁談は、途中で破談になったんです」

 破談? 確かにお父様は「金をくれるのならば」と仰っていた。私が監禁されている間に、サンキーニ男爵からフォンス侯爵に乗り換えたのかもしれない。
 爵位はフォンス侯爵の方が上だから。

「ダリヤお嬢様のお父上であるブベーニン伯爵様が掲示した金額を、サンキーニ男爵様は支払うことができなかったんです。けれど、余程その額のお金が、急を要するものだったのでしょう。今度は我が主である、フォンス侯爵様に話を持ちかけたのです」
「お恥ずかしいことに、私は家の経済状況を知りません。我が家はそんなにお金に困っていたのですね」
「……ダリヤお嬢様。大丈夫です。たとえ理由がそうであろうと、フォンス侯爵様はダリヤお嬢様を蔑ろには致しません。勿論、この私、メイド長のハンナも。そして、今は御者に(ふん)しておりますが、ご主人様の従者をしているフィルもまた、同じです」
「どうして……。私はフォンス侯爵様にお会いしたことがないのに。貴女方によくしていただく理由がありません」

 私はもう、ブベーニン伯爵家に引き取られたばかりの幼子ではない。無邪気に新しい家族と幸せになれる、という考えには至らないのだ。

 初めは優しかったお父様も、ベリンダお姉様の嘘を信じて、どんどん人が変わっていった。私はそれが怖い。

 フォンス侯爵様だって、お父様と同じ貴族。最初は良くても、後から……。

「リヴェ?」

 すると突然、リヴェが私の膝に顎を乗せた。見上げる青い瞳が、何故か大丈夫だと語りかけてくる。

「そうね。どの道、ブベーニン伯爵家には帰れない。ううん。帰りたくないんだから、行くしかないわよね」

 そう、フォンス侯爵家に。何が待ち受けていたとしても、私には前に進む選択肢しかないのだ。


 ***


 美しい装飾が施された鉄格子の門を抜け、まるで城かと思うほど、大きなお屋敷の前に馬車は止まった。
 トンガリ屋根がないため、一応城ではない、と認識はできる。が、こんな立派な屋敷は初めてだった。

「お帰りなさいませ」

 玄関先で出迎える、家令と思しき男性。私は初めて来たのに、「お帰りなさいませ」とはどういうことなのだろう。そう、思っていると、リヴェが馬車から飛び出した。

「り、リヴェ!?」
「ダリヤお嬢様。大丈夫です。そちらは家令にお任せして、ダリヤお嬢様は私とこちらへ。ご主人様にお会いする前に、身支度を整えましょう」

 ハンナに言われて、私はハッとなった。ブベーニン伯爵邸を出る前、リヴェによって、髪から服まで、お世辞にも綺麗だとは言えない状態にされていたからだ。

 一応、髪は手で整え、服も見える範囲の汚れとホコリは履いた。けれど、メイド長であるハンナの目には、やはりみすぼらしく見えたのかもしれない。
 私は素直に従った。

 けれど、ハンナの言う身支度は、私の予想を遥かに超えるものだった。

 まず、服を着替えるだけだと思っていたのに、お風呂に入れられたのだ。香油の入ったお湯に浸かり、その香りに蕩けそうになる。

 心身共に気持ち良くなると、今度は何故かマッサージされる羽目に! けれどこちらも気持ちよくて、抵抗できなかった。

 顔にも、化粧水や乳液を塗られ、またマッサージ。
 フォンス侯爵家のメイドさんたちに、私はされるがままだった。

 着させられた黄色いドレスも素敵で、肌触りが良く。すぐに上等で高価なものだと理解できた。何故か私の体にピッタリなのが、不思議だったけれど。

 髪も香油を付けて、念入りに梳かしてもらったお陰か、しっとりとした艶のある亜麻色に。花飾りまで付けてもらった。

「これならご主人様も満足していただけることでしょう」

 誇らしげに言うハンナ。
 私はまるでお姫様になったような気分だったのだが、その一言で一気に急降下していった。

 そうだ。私はここに売られて来たんだ。相手がサンキーニ男爵からフォンス侯爵に代わっただけで、向こうの目的は私の体。
 だから、見た目だけでなく、体の隅々まで綺麗にされたんだわ。

「それでは参りましょう。ご主人様がお待ちです」

 ハンナは私の表情に気づくことはなく、フォンス侯爵がいる執務室へ案内した。
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