結婚前夜に殺されて人生8回目、今世は王太子の執着溺愛ルートに入りました!?~没落回避したいドン底令嬢が最愛妃になるまで~
「そ、そんな……ありえないわ……」
 フリーダ様は顔を真っ赤にして、悔しそうに親指の爪を噛んだ。そして「このままでは終わらせないから!」という捨てゼリフを吐くと、これ以上私たちを見ていられなくなったのか、長い髪を振り乱して去っていく。
「エルザ」
 ノア様は無礼に去りゆくフリーダを止めるどころか見向きもせずに、機嫌の良い声色で私の名前を呼んでこう言った。
「これですべての誤解が解けたな。よかった」
 無邪気に笑うノア様から、在学中の冷たい眼差しは微塵も感じられず……それどころか、ノア様はこんなふうに笑うのかと、会場内がまたざわつき始める始末だ。
「同じ男だからわかる。あれは完全に相手にベタ惚れしている時の笑顔だ」
「たしかに、あの侍女といる時は笑っていなかったもんな……」
 信じたくなさそうに表情を歪ませる令嬢たちとは正反対に、令息たちはすんなりとノア様の宣言を受け入れた。やたらと説得力のある言葉は伝染するように辺りに広まり、なぜか登場時と同じ盛大な拍手が大広間に沸き起こり、私はノア様の隣で委縮することしかできなかった。

 私を含めての挨拶回りがひと段落済んだところで、私は少し遅れて王宮に到着した家族と久しぶりの団らんを楽しむ。ノア様個人への挨拶の列はやみそうもなく申し訳ない気持ちもあったが、ノア様が「家族のところへ行ってやれ」と心遣いを見せてくれたので、遠慮なくそうさせてもらった。
「姉さん、すっごく綺麗だね」
 アルノーは私に何度もそう言って褒めてくれる。アルノーももう十五歳。来年には学園に入学する歳だ。ノア様のおかげで家庭教師をつけてもらえたようで、学園入学前に行われる実力を測る学力テストで一位をとるのだと意気込んでいる。それで伯爵家がたいへんだった時に私を馬鹿にした令息たちを見返すのだとか。
楽しげに話す弟を見て、お父様やお母様も私と同様自然と笑みがこぼれている。こうしていると、私だけ血は繋がっていなくとも、本当の家族だと思えた。
「あ、お母様、グラスが空になっているじゃない。私がなにかもらってくるわ」
「あら。本当? ありがとう」
 私はお母様からグラスを受け取ると、ひとりで輪を抜けてワインが置いてある場所へと向かう。お母様は甘口に赤ワインが好みなので、会場に常駐している王宮のソムリエに頼んでおすすめのものを用意してもらうことにした。
「エルザ様、すみません。在庫が足りなくなったため、一度キッチンに戻って大丈夫でしょうか? すぐに戻ってまいります」
「全然構わないわ。むしろそこまでしてくれてありがとう」
「いえ。本当に美味しいので、ぜひエルザ様のお母様にも飲んでいただきたいです」
 そう言って、足早にソムリエはキッチンへと向かう。
 私はひとりで彼の帰りを待つ間、会場中の様子をざっと眺める。そして視線は自然と、ノア様の姿を捉えたところで止まった。
 ……ノア様の周り、ものすごいご令嬢の数ね。
 ベティと恋仲になかったこと、妻となった私が近くにいないこと。それらを踏まえ、今がチャンスをいわんばかりにノア様に群がっているのは、みんなこの会場でもひときわ目立つ容姿やスタイルを持った令嬢ばかり。
 そりゃあそうだ。自分に自信がなければ、私という妻が会場にいるというのにあんなにノア様にアピールしないだろう。私相手ならいけると、そう思われても仕方ない。
 ……あれ。なんでだろう。今までだったらなんとも思わなかったはずなのに、これ以上、ノア様がほかの令嬢に笑いかけているところを見たくない。
 学生時代から変わらない、分け隔てのない王子スマイル。ノア様にとってあれは愛想笑いかもしれないが――ずきりと胸が痛むのは気のせいなのか。
 その時、私の背中に誰かがぶつかって、どんっと軽い衝撃がした。
「も、申し訳ございません! お怪我は?」
 僅かによろめいた私の身体を、振り返ってすぐに支え心配してくるその男は――。
「……ユベール!」
 二回前のループで私が婚約した男爵令息、ユベールだ。
 彼は自らの所有する領地で万病に効く薬草を見つけ、薬の出回りが少ない近隣国へそれを輸出し商売を成功させた若き凄腕の商人でもある。私との婚約が決まってからは、新たな薬の開発に勤しんでいたっけ。とにかく勉強熱心な青年だった。
「? どうしてエルザ王太子日が私の名前を?」
 急に、しかも呼び捨てで馴れ馴れしく名前を呼んだせいか、ユベールは困惑した表情を浮かべる。
 そうだ。いくら私が覚えていても、今世で私と彼にはなんの繋がりもないんだ。
「それは……その……」
 うまい言い訳が思いつかず言い淀んでいると、ユベールはそんな私を見てくすり笑った。
「まぁ、なんでもいいです。名前を覚えてもらえるのは光栄なので」
 よかった。ユベールは薬作りには細かいけれど、ほかはあまり気にしないタイプだった。
「お怪我はないですか?」
「はい。どこも痛くありません」
「よかった」
 ふわりと眉を下げて笑う仕草はなにも変わっておらず、私はつい懐かしく感じて、もう少しユベールと話してみたいと思った。この間まで彼と結婚する未来を歩んでいたと思うと、変な感じがする。正直、薬の開発に夢中だった彼と親密に時間を共に過ごした記憶はほぼない。それでも、薬作りを私が手伝うという条件さえ守れば、家族にも私にもよくしてくれていた。
「あの、よかったらもう少し――」
 せめてワインが届くまでの時間、ユベールをおしゃべりに誘おうとしたら、今度は背後から長い腕が伸びてくる。気づけばその腕は私の首の下に絡みつき、鼻をかすめた清廉な香りでこの腕の主が誰かわかってしまう。
「エルザ、お待たせ」
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