新そよ風に乗って ⑧ 〜慕情〜
「お前は、 本当に……」
話の途中で、 高橋さんが私を強く抱きしめた。
「た、 高橋さん。 苦しいです。 そ、 そんなに強く抱きし……ンンッンッ……」
いつぶりのキスだろう?
突然のキスなのに、 何だかとても懐かしくて安堵としている自分がいる。 けれど、 高橋さんの唇は直ぐに離れてしまった。 そんな高橋さんの行動に、 少し寂しさを感じてしまう私って……。
「悪い。 我慢出来なかった」
我慢できなかったって……高橋さん。 何だか、 嬉しい。 不謹慎かもしれないけれど。
「フッ……。 病人襲うなんて、 どうかしているな。 俺……もしかしたら菌うつしたかもよ?」
そう言って、 高橋さんはチョロッと舌を出した。
もう……。
そのお茶目なところに、 メロメロだったりするのに。 高橋さん! そんな至近距離で、 言わないでってば。
きっと今、 顔真っ赤だ。
高橋さんは乱れてしまった布団をまた直してくれて、 腕時計を見た。
あっ……。
いつの間にか、 お揃いの時計は、 高橋さんの右手首にはめられている。 この前までは、 左手首にしていたのに……。 そんなさり気ない優しさに触れて、 今までのことが思い出され、 この冬の出来事がまるで走馬灯のように脳裏を駆け巡り、 胸がいっぱいになった。
「また、 近いうちに来るから」
「はい。 ありがとうございます。 でも……今、 いちばんお忙しいんですから、 本当に私の事は大丈夫なので、 気にしないで下さい」
そう私が言い終えるか否かのうちに、 高橋さんは優しく微笑みながら頷いて聞いていた。
高橋さんが病室を出て行ってしまった後、 今まで人口密度が高かったこの部屋が急に静まり返って、 点滴の機械の音だけが響いて、 それがまた寂しくも虚しくもあり、 昂っていた気持ちも落ち着いてきたせいか、 何か怖いぐらいの静けさに感じられた。
その日は、 熱が少し高かったので無理だったけれど、 翌日からは高橋さんに言われた 『 ゴールデンウィークまでに、 元気になって退院して出社する 』 という事を目標と励みにしながら、 病気を治す事に専念して自分なりに頑張っていた。
そして、 また昼間の暖かい時間帯の中庭での読書も再開して、 高橋さんがお見舞いに週末来てくれた時も、 新緑の日だまりの中のベンチに座りながら、 いろんな話しをしていた。 そんな何気ないひと時でもとても幸せに感じられ、 気持ちも落ち着いていたので、 4月のゴールデンウィークに入る前に、 念願の退院が出来た。
2日間、 自宅でのんびりしてからもう一度外来で診察をしてもらうと、 主治医の先生も太鼓判を押してくれた。 3日働けば、 ゴールデンウィークなので会社にも行って良い事になり、 翌日からまるで新入社員の時のように、 緊張しながら出社した。

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