奮闘記などと呼ばない (王道外れた異世界転生)
* * *


「お嬢様、大丈夫ですか?」
「ええ、そうね……」

 ここ数日の強行軍を経て、『セシル』 は、ノーウッド王国の西に位置する、ある領地にやって来ていた。

 乗馬にも慣れ、一人で馬を乗りこなせれるようになったとは言え、さすがに、こんなに長い距離を一人きりで乗馬したのは初めてで、『セシル』 の体は、体中がギシギシと音を立てそうなほどに、ひどい筋肉痛が襲い始めていた。

 頭脳は大人とは言え、まだまだ、体は子供である。それも、今まで、甘やかされて育って来た貴族の令嬢の体である(要は、なまった体、と言う意味だ)。

 前世(なのか現世) のように、子供は学校に行き、体育があったり、移動で歩くことがあったりと、なにかと運動する機会が多いものだ。

 この世界の貴族の令嬢が、体育などするはずもない。勉強は家庭教師で、十六歳になると、貴族の子息・子女は全員、王立学園に登校しなければならないだけだ。

 貴族の嗜みとして、令嬢の乗馬はある。乗馬レースもある。
 だが、騎馬をしたまま長距離の移動など、個人的には絶対にしない。貴族の移動は馬車だから。

 はっきり言って、貴族の令嬢など、運動不足もいいところだろう。何もしないで世話をされまくりの生活というのも極楽だと思う。何もしなくても、誰かが勝手に世話を焼いてくれるのだから。

 それと同時に、怠惰な生活にどっぷりはまり込んでしまって、絶対に、貴族の令嬢など運動不足に違いない。歩くことで養われる筋肉さえもないだろう。

 まあ、ダンスレッスンにはきちんとした筋肉が必要ではあるから、そう言った教育を受けているから、全く筋肉が養われていない、とは言えないのかも。

 初めての長距離の移動で、ここ5~6日ほどずっと、朝から晩まで馬の乗り続けて来た小さな『セシル』 の体にムチ打って、やっと、『セシル』 はテヴェオス領にやって来たのだ。

 あちこちが筋肉痛で、ギシギシ、ギシギシと、体中できしんだ音がでてきそうなほど、『セシル』 の体はカチコチだった。錆びついて、動きが鈍った機械人形な動きをしている『セシル』 なのだ。


(ああ……、もう、体がギシギシと痛くて、動けないわ……)


 のんびり温泉に浸かり、疲労も、筋肉痛も洗い落とせたら、どんなに良かったことか……。残念なことに、この世界には温泉はない。

 それで、しんみり……前世(なのか現世)を、つい、思い出してしまう、『セシル』 だった。

 テヴェオス領は、ノーウッド王国の一番西に位置した、国境沿いの領地である。報告によると、その領地の領主は、アーントソン辺境伯だと言う。

 なぜ、まだ幼い『セシル』 が、ヘルバート伯爵家から遠く離れた西にやって来たかと言うと、まず手始めに、『セシル』 の味方として、護衛を増やすことが任務だったのだ。

 西には、ノーウッド王国国軍が駐屯しているらしいのだ。東西南北程度に、国軍は配置されているらしいから、西でなくても良かったのだろうが、ヘルバート伯爵家からの位置では、西の国境に駐屯している国軍が一番無難な場所なのだ。

 実戦経験のある兵士を探しに、今回の旅が始まった。

 ヘルバート伯爵家にも、私営騎士達はいる。今回だって、『セシル』 の移動の護衛の為に、『セシル』 に付き添って来た騎士が一緒だ。

 ユーリカ・フリースという。

 まだ若い青年の部類に入るのだろうが、腕が立つとのことで、コトレア領に一人()ってしまった『セシル』 を心配して、父のリチャードソンが、『セシル』 と一緒にコトレア領に付き添わせて来た騎士の一人だった。

 なんでも、ノーウッド王国には、領内などに騎士訓練所のような場所があり、騎士としての剣術や剣技を習える場所があるらしいのだ。

 ヘルバート伯爵領にも、少年用の小さな騎士訓練場のような場所があるらしいが、成人した男性の騎士訓練所はない。

 それで、ユーリカは、王都の騎士訓練所のような場所で、剣技などを習って来た騎士の一人だという。

 ただ、ユーリカは平民出身なので、平民が騎士となるのは、大抵、貴族に雇われた私営の騎士だけである。王宮に仕えられるような王宮騎士団などには、入団できない。

 それで、ヘルバート伯爵家の、年一回の騎士面接で雇われた青年なのである。

「ああ、やっと、着いたわぁ……」

 長かった……。
 馬で5~6日はかかりますよ、とは教わっていたのだが、朝から晩まで馬に乗りっぱなしで移動など、さすがに強行軍で、小さな『セシル』 の体にはきついものだった。

「大丈夫ですか、お嬢様?」
「ええ、まあ、一応は……。ユーリカは、平気なんですか?」
「私は問題ありません」

 ユーリカは、コトレア領にも付き添って来たことがあるし、王都に行く時も、一緒に付き添ってくることが多いようなので、移動は慣れているらしい。

 セシルも慣れれば、ここまでの筋肉痛に(さいな)まされることもないのかもしれない……。

「やっと、テヴェオス領にやって来ましたね。一応、この領地を治めているというアーントソン辺境伯に、ご挨拶でもしておかなければならないかしら?」

 貴族の令嬢が勝手に領内をうろついて、おまけに、国境側にある国軍にも出入りをするとなると、怪しい動きをしている貴族がいる、などと変な噂が上がってしまうかもしれない。

 問題になる前に、一応、顔見せはして、挨拶は済ませておくべきだろう。

「辺境伯にですか?」

「ええ、そう。やっぱり、他所様の領地内を、他の貴族が勝手にうろつき回ったら、怪しまれるでしょう? 子供とは言え、一体、自分達の領地に何しに来たんだ、なんて?」

 と言うよりも――たった一人きりで、こんな小さな子供が、それも貴族のご令嬢が、一体、何をやっているんだ、とものすごく驚かれる状況の方が大だろうな、とはユーリカも思う。

 ただ、『セシル』 には、それを口に出してはいない。

 ユーリカだって、仕えている伯爵家のご令嬢の護衛として、コトレアに付き添って行ったはずなのに、そのご令嬢と一緒に子供連れで、二人だけの長旅をするなど、夢にも思わなかったことだ。

 子供と一緒に旅をするのは、ユーリカだって初めてである。
 貴族のご令嬢と一緒に、馬を走らせるなど、前代未聞の出来事だった。

 移動中、宿に泊まる時だって、付き人もいなければ、侍女もいない。たった一人きりで、着替えや荷解き、寝る時の準備など、貴族の令嬢ができるはずはない。

 なのに、『セシル』 は一度も文句を言わず、文句が上がらず、長い移動を続け、そうやって、平民が泊まるような宿屋で寝泊まりをし、外で簡単な食事を済ませ、貴族の令嬢らしからぬ生活を強いられても、それを苦にしていないかのような生活振りだったのだ。

 移動しているユーリカの方が、あまりの驚愕で、何度も、何度も、『セシル』が大丈夫なのか、本当に移動なんて可能なのか……と、繰り返し、繰り返し、確認してきたほどである。

 『セシル』は、前世(なのか現世) で言えば、平民だ。一般市民、だ。
 だから、貴族の扱いをされなくても、全くの問題はない。

 この世界で――おまけに、子供の体で長距離の移動ができるか、と言えば、そうとは限らない。おまけに、前世(なのか現世) とは全く違った世界で、情勢で、不便ばかりが目に付く時代。

 移動中、宿に泊まろうが、ホテルはない。ホテルのサービスもない。お風呂を頼んでも時間がかかり、面倒だから、大きな樽にお湯を張ってもらっても、その後片付けだって一苦労だ。

 宿などでの食事は、パンとスープがほとんどだ。それも、ものすごい硬いパンだ。
 味気のないスープにパンを漬けなければ、到底、歯で噛むことなどできない、ものすごい硬いパンだ。

 文句は、山程ある。大声で、気が狂いそうなほどに叫びたいことは、山程ある。不満だって、山程ある。

 嫌だあぁぁぁっ――って。

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