身代わりで嫁いだお相手は女嫌いの商人貴族でした

5.夜の逢瀬

 困ったことに、アメリアは町に出て買いものをするだけで少しくたびれてしまった。そのせいで、帰宅をしたらすぐ眠ってしまい、夕食を食べそびれる。だが、彼女は夕食を食べないぐらいはいつものこと。一日スープ一杯とパン一つで過ごす日々だったのだし、なんともない。

「ああ、夜になってしまった……」

 一応眠る前に室内着には着替えていたが、見れば寝間着が別に用意されている。リーゼが気を利かせてくれたのだろう。が、それに着替える前に、少し歩こうと彼女は部屋をするりと抜け出す

 バルツァー侯爵は、無駄を嫌う。よって、夜は外回りの警備はそれなりに人数を割いても、邸宅の内側はみな眠りについている。彼が持つ財のほとんどは別の場所に置いてあったし、それらは毎月の巡回でチェックをする徹底ぶり。よって、この本邸には多くの人件費を割かずにすんでいた。

 誰もいない邸宅内を、アメリアは静かに歩く。彼女はもともと、ヒルシュ子爵邸で昼間に出歩くことを禁じられていた――侍女の格好で離れの中で働くことは許されていたが、人目に触れないように――ため、夜、そっと外に出ることが多かった。

 バルツァー侯爵邸には庭園があり、渡り廊下から降りられるようになっていた。彼女はそこに向かった。

「ああ……夜の空気だわ……」

 この一か月、丸一日色々なマナーやら何やらの勉強を詰め込まれ、夜はすぐに眠りについていた。しかし、それ以前はこうやって外に出て、夜の空気を胸いっぱい吸い込むこと。それが、彼女にとっての生きる糧にもなっていた。

 夜は良い。静かで、誰の声もせず、ただ月明かりや星明りに照らされて、耳をすませば時々夜鳴く鳥の声が聞こえる。自分を馬鹿にする者も虐げる者もいない。その者たちが眠りについている時間だけ、彼女は安心をして息を吸えるような気がしたのだ。

「……あっ……?」

 かつん、かつん、と人が歩く音に気付いて、アメリアは身を竦めた。こんな時間に誰だろう。庭園にいることを怒られないだろうか。ぐるぐるとそう考えたが、どこかに隠れる暇もなく、その人物が現れる。

「うん? 誰だ。そこにいるのは」

「あっ、あの……」

「君か」

 そこには、アウグストの姿があった。どうやら彼は今帰って来たばかりのようで、外套を着ている。そういえば、渡り廊下を渡った先に彼の私室があったことに気付くアメリア。

(そうだ。執務室はエントランスに近いところにあったけれど……)

 婚姻を結ぶ間柄なのに、アメリアが使っている部屋と彼が使っている部屋は遠い。だが、きっとそれは彼が一人の時は休みたいと思っているのだろう……そう思っていた。

「はい。あの……お帰りなさいませ……」

 立ち止まったアウグストの元に、少しだけ近づいてアメリアはそう言った。彼はそれに特に何も返さず

「何故ここに」

「夜の……夜の庭園が、好きなので……」

「そうか。風邪には気をつけろ。お披露目会で倒れたら目も当てられん」

 そう言ってアウグストはその場から離れる。アメリアは「あっ……」と小さく声を出したが、彼は気にせず去っていった。

「おやすみなさい……」

 小さく呟いたその声は、彼に届いていなかった。
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