身代わりで嫁いだお相手は女嫌いの商人貴族でした

12.ヒルシュ子爵邸

「侯爵様、失礼いたします」

「ああ」

「こちら、ヒルシュ子爵とそのご家族についての調査書となります。残念ながら、アメリア嬢の情報はそう多くないのですが……」

 アウグストはそれを受け取り、ぱらぱらとめくった。しばらく、無言の時間が続く。男性は姿勢を保って、アウグストの言葉を待っている。

(そうか……少し見ればわかる。情報が多くないということは、家族にカウントされていないということだ。それに)

 社交界にアメリアが出ていないことはわかっていた。それどころか、デビュタントも行われていない。今更、彼女について、ヒルシュ子爵家について、彼はようやく向かい合おうとしていた。

 必要がないと思っていた。自分は金で彼女を買った。彼にとって、自分とアメリアの間柄にあるのは、それだけだと思っていた、いや、思い込んでいたからだ。

「なるほど……」

 読めば読むほど、ため息しか出てこない。そして、自分の脳がクリアになっていく気がする。彼が見ていたアメリアの様子は、何一つ「そう見せようと」したものではなく、ただただ「そう」だったのだ。

 あのか細い体ですら、本当は自分のところに嫁ぐと決めてから、それでも食事をするようになってふくよかになった結果だったのだと知った。信じられなかった。自分のもとに来た彼女を見た時に、彼は「貧相だ」と思った。だが、そのひとつき前、自分が彼女の姉に求婚をした頃には、彼女は更にやせ細っていたのだと言う。

 そう所作が美しいわけでもない、だが、彼女なりに「どうにか」きちんとしようと頑張っていたテーブルマナーも、たどたどしいカーテシーや、貴族のマナーなども、すべてひとつきで付け焼刃で身に着けたものだった。けれども、彼女は間違いなくヒルシュ子爵の子供だった。

 アウグストのように、愛妾の子供ではない、本妻の子供。だが、双子は不吉だと言われたがゆえに、閉じ込められて、ただ生き永らえさせられていたのだと、ようやくアウグストは知った。そして、彼の元に無理矢理送られたらしいことまでを、彼はやっと真実として受け止めることが出来たのだ。

(なのに。あのように、柔らかく微笑むことが出来るのだ。彼女は。誰にも愛されずにいたというのに)

 目の奥が熱くなる。何故彼女は自分に打ち明けてくれなかったのだろうか、という気持ちと、そんなことを自分が言える立場か、という気持ちがないまぜになる。

(わたしは、打ち明けるのに値する人間ではなかった……ただそれだけだ。だが、これから変わることが出来るだろうか……)

 得意ではない刺繍を恥ずかしそうに隠す彼女。あまり食べられない食事を、それでも一所懸命少しでも食べようとする彼女。豪奢なドレスを纏って、どこか申し訳なさそうな表情の彼女。それから。

 夜の庭園で、いつも柔らかい声音で「おかえりなさいませ」と「おやすみなさい」と彼に与えてくれていた彼女。それらがすべて、嘘ではなかったのだと理解をして、アウグストはまるで霧が晴れたような表情になる。

「ありがとう。良い仕事だ。これが報酬だ」

 アウグストはそう言って、多額の金を払った。男性はそれを見て驚いていたが

「それを支払ってもいいほど、わたしの人生を変えることになるのでな。感謝の気持ちだ」

 その言葉を聞いて「ありがとうございます」と受け取った。
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