ジングルベルは、もう鳴らない
「良かったですよ。だって私は、また食べたかったですもん。ただ、お店の名前が思い出せなくて。友人が、タケシだったかタケルだったかって。ちょうど思い出したところでした」
「タケシ? タケシでもタケルでもないよ」


 斎藤がハハハッと笑った。店の名前はマサシだよ、と。そうして彼は、ジャズ喫茶『羽根』と書かれたカードに『(マサシ)』と書いて、僕の名前なんだよね、と言う。斎藤匡、それが彼の名前。一つ知りたかったことを知り、胸がポワンと温かくなる。今更こんな気持ちになったって、どうにもならないというのに。


「マサシでしたかぁ。ちょっと惜しかったですね。私に至っては、あの個性的な象しか記憶になくて」
「象ね。あぁ、ヒロ……落書きみたいなもんだったよね。でも、ちゃんと看板になってたなら良かった。カレーもそこで出してるよ」



 斎藤はそう笑った。言い掛けた『ヒロ』が、樹里の胸を締め付ける。あの時、彼女に運ばせたプリン。知り合いへの慰みにくれたのだろう。シュンと折れた心が、どんな顔をしたらいいのだろうと悩み始めた。彼には、ヒロミという名の彼女がいる。これは、自分の目と耳で確認していた事実だ。それなのに、それを素直に受け止められない自分がいた。そして、その事実に樹里は困惑している。

 次に会った時に分かるんじゃないか。朱莉はそう言った。斎藤と笑いながら、ゆっくりと自分の内側を見る。純粋で素直な樹里の気持ちを。そして、悟った。あぁ、この気持ちはきっと恋だったのだ、と。
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