奪われてもいい、君になら。
episode.3 初めての経験
◯ベッドルーム(朝)
─2話の翌日─
キングサイズのベッドの上で目を覚ます椿。
椿「ここ……どこ」
目をこすると、ぼやけた視界にいつもとは違う光景が広がる。
目の前には、はだけたバスローブから覗く栢の胸板。
椿「……⁉」
驚いた椿は飛び起きる。
隣には紺色のバスローブを着て眠る栢の姿があった。
美しい寝顔に見惚れて数秒。昨日のできごとを思い出す。
椿(そ、そうだった。私は昨日この吸血鬼に連れられて楔学園へとやって来たんだ。でも、どうして一緒に眠っているの?)
(回想)昨夜のことを思い出す椿
◯栢の部屋(夜)
栢と同部屋だと知り身構える椿。
栢が手を伸ばすと椿はぎゅっと瞼を閉じた。
栢は椿のリュックを手に取る。
椿「あっ」
リュックに伸ばした手を栢に掴まれる椿。
栢「その傷は昨日のものか?」
椿の指にはカッターで切った傷が残っていた。
栢「すぐに気づいてやれなくて悪かったな」
栢は椿の手を取ると、傷跡に舌を這わせる。
椿があ然としている間に治る傷。
椿(傷が一瞬にして治った。これも吸血鬼の能力なの? それよりも今、私の指を……)
栢「今日は疲れただろう。風呂にでも入って休むといい」
椿(確かあの後、そう言われてバスルームに案内されたんだ)
大理石の壁にバスタブはふたつ。
自分の部屋よりも大きなバスルームに落ち着かない様子の椿。
大きなバスタブなのに端っこに座る。
脱衣所には下着からバスローブまで新品のものが用意されていたが、椿は持ってきたワンピース型の寝間着に着替えた。
部屋に戻るとそこに栢の姿は見当たらず、ソファに腰掛けた椿。
椿(それ以降の記憶がない。もしかして、寝落ちしたの? じゃあ、この人はここまで私を運んできてくれたってこと?)
なにかを思い出したかのように、はっとする椿。
近くにあった鏡で自分の首筋を確認するが、そこに噛み跡はなかった。
ほっと胸を撫で下ろす。
椿(吸血鬼に殺されることを望んでいたのに、ほっとするなんて……)
栢「よく眠れたか」
栢の声に振り向く椿。
ベッドの上で頬杖をつきながら椿を観察していた栢。
椿「あ、えっと……はい」
栢「そうか、よかった」
起き上がった栢は椿の横を通るとき、頭にぽんっと優しく触れる。
栢「今日は編入の準備で忙しくなるからな」
椿(そうだ。私は楔学園に通うんだ)
栢「まずはメイドが採寸をしにくる」
栢はそう言うと、バスローブを近くの椅子へと脱ぎ捨てた。
栢の引き締まった背中が目に入り、椿は視線を逸らす。
椿「は、はい」
栢「その前に朝食だな」
栢は近くにあった受話器を手に取り、朝食を頼んだ。
数分後。
メイドが朝食を持って訪れた。
クロワッサン、コーンスープ、サラダ、オムレツ、ソーセージ、フルーツ。
用意されたのはひとり分の朝食で、椿は当然栢のものだと思う。
栢「……食べないのか?」
椿「え……あなたの朝食じゃ」
栢「俺はこれでいい」
栢はそう言うと冷蔵庫の中からパウチ容器を取り出した。中身は赤い。
椿(もしかしてあれって血液?)
栢「早くしないと冷めるぞ」
椿「は、はい」
席につき、両手を合わせる椿。
椿「いただきます」
オムレツにフォークを突き刺す。
あまりの待遇のよさになにかの罠ではないかと疑う椿。
椿(……餌っていうからもっと乱暴な扱いを受けると思ったのに。あの人は私の血すら飲もうとしない。……やっぱり不味かったのかな。だとしたら、どうして私を連れてきたの?)
栢の真意がわからないまま、オムレツを口に運ぶ椿。
椿「……美味しい」
あまりの美味しさに思わず感想を述べる椿。口元にはケチャップがついている。
栢は親指で椿の口元についたケチャップを拭うと、その指を舐めた。
椿「…………へ?」
なにが起きたのかわからなくて、一瞬フリーズする椿。
栢「ついてた」
顔を真っ赤にする椿。今まで同性とすらまともに話したことのない椿は異性(同世代)への免疫がない。
椿「た、食べても平気なんですか」
栢「人間の食べ物を口に入れても害はない。ただ、必要もない」
椿「それじゃあ食事は……」
栢「人間の血を直接飲むか、血液パック、もしくはタブレットだな」
椿「そうなんですね。それなら、人から血を貰わなくても生きていけるってことですか?」
栢「血液パックやタブレットはランクにもよるが、一般層が手を出せる価格じゃない」
椿(だから吸血鬼は人を襲うんだ)
椿が朝食を食べている間、栢はその様子を優しく見守っていた。
朝食を食べ終えた後、メイドが部屋を訪れる。
下着から制服まで採寸で忙しいイメージ図。
セルフカットしていた髪も綺麗に整えられた。
椿「や、やっと終わった……」
栢「俺は編入に必要な手続きをしてくる。この部屋から出るんじゃないぞ」
椿「わかりました」
栢が部屋から出て行くと椿はソファにぐったりと座り込む。
椿「私、本当にここで暮らすんだ。吸血鬼と」
憎い相手なはずなのに、瞼を閉じると栢の優しい表情ばかりが浮かぶ。
脳裏に浮かんだ栢をかき消すように首を振る椿。
椿「……パートナーなんて聞こえのいい呼び方をしているけど、実際は吸血鬼の餌。今にも本性を出して襲いかかってくるに違いない」
椿(殺されることを望んでいたけど、やっぱり死ぬのは怖い。ああ、でもすぐには殺してくれないんだった)
コンコンと扉がノックされた。
メイド「お召し物の準備が整いました」
数時間前に採寸を終えたばかりの制服や下着、ルームウェアなどがラックごと運ばれてくる。
椿(もうできたの⁉)
椿「あ、ありがとうございます」
椿が頭を下げると、メイドも同じように頭を下げた。
ラックをどこへ運ぼうか扉の付近で考えていたら、外から女の子の「きゃっ」と叫ぶ声と、大きな物音が聞こえてきた。
椿(なんの音……? 女の子の悲鳴?)
扉を少し開けてから、栢の『この部屋から出るんじゃないぞ』という言葉を思い出す。
椿「少しだけなら……」
声のした方へ向かうと、階段で女の子(東海林美紅)が膝から血を流して座り込んでいた。
東海林美紅《16歳。153センチ。肩までの長さの黒髪。ハーフツイン》
椿「大丈夫ですか」
声をかけた後、はっとする椿。
今まで同世代の人とまともに話してこなかったからだ。
椿の心配を他所に美紅は会話を続ける。
美紅「階段を踏み外しちゃって。手を貸してもらえる?」
椿「は、はい」
椿は美紅を支え立ち上がる。
美紅「ありがとう。……見ない顔ね。もしかして、編入生?」
椿「そうです」
美紅「私は東海林美紅。高等部の一年よ」
椿「私は……」
雪平という苗字を名乗るのに躊躇する椿。
椿(私が雪平の人間だと知ったら、彼女の態度も変わってしまうかもしれない)
美紅「あ、こんなところで悠長にしてる場合じゃなかった」
美紅の視線の先を見つめると、吸血鬼が物欲しそうな顔で美紅を見つめていた。
椿(そうだ。ここは吸血鬼が暮らす寮)
美紅の膝からは血が流れている。
椿「……こ、こっちです」
椿は美紅を支えながら部屋へと戻った。
大した距離を走ったわけでもないのに、肩で息をする椿と美紅。
美紅「あー、びっくりした。急に走りだすんだもん」
椿「え、だって近くに吸血鬼がいたから」
美紅「あー、あれはただの女子高生好きの吸血鬼。寮内ではパートナー以外の人間に手を出す行為は厳禁なの」
椿「な、なんだ……」
力が抜けた椿はその場に座り込む。
美紅「編入生ならまだまだ知らないことの方が多いよね。助けてくれてありがとう」
今度は美紅が手を差し出して椿を支える。
椿(……すごくいい子だ。だから、本当は黙っておきたい。でも、)
自分の苗字を伝える決心をする椿。
そのとき、ドンドンと乱暴に扉を叩かれた。
椿(もしかして、さっきの吸血鬼?)
美紅はなんの確認もせず扉を開ける。
椿は美紅を守ろうと手を引いて扉から離した。
けれど、飛び込んできたのはさっきの男のではなく同い年くらいの男の子(氷室万里)。
氷室万里《180センチ。年齢不詳。見た目は17~18歳。赤のメッシュが入った黒髪》
万里は美紅を一度抱きしめると、すぐ引き離して全身をチェックする。
万里「なんだ怪我か」
美紅の血の匂いがして、誰かに噛まれたのではないかと心配だった万里。
万里「でも、痛かったよね。すぐ直してあげる」
跪いた万里は美紅の足を自分の膝へと乗せると、血の出ている部分に舌を這わせた。
美紅「……んっ、ちょっと万里」
椿はいけないものを見ているような気がして、ふたりから視線を外した。
万里「治療完了」
万里が舐めたことにより、美紅の怪我は治っていた。
椿(この人も吸血鬼なの?)
美紅「万里。この子が私を助けてくれたの」
万里「どうもありがとう」
万里は椿を抱きしめる。
椿「あの、ちょっと」
急に抱きしめられて硬直する椿。
万里の首根っこを掴み椿から引き剥がす美紅。
美紅「ごめんね。万里は吸血鬼だけど、危ない奴じゃないから。私は万里のパートナーとしてこの学園に入学したの」
万里「氷室万里です。この部屋にいるってことは、栢のパートナーだよね」
椿「はい」
美紅「栢様のパートナーに選ばれるなんてすごいよ」
美紅がにっこりと笑う。
椿(栢……様? 母の態度といいあの人は絶大な権力を持つ吸血鬼なのだろうか)
万里「美紅。そろそろ授業始まるよ」
美紅「そうね。行かなきゃ。また会いましょう。椿」
美紅はそう言うと、万里と共に部屋を出た。
椿「どうして私の名前を……」
美紅が自分の名前を知っていて不思議に思う椿。
置いたままだったラックを移動しようとすると、制服の胸ポケットの部分に『TSUBAKI』と刺繍されていることに気づいた。
椿(もしかして、これを見て)
椿「なんだか嵐のような人たちだったな」
椿(だけど、不思議と嫌な気持ちはしなかった)
*
◯栢の部屋(夜)
栢は部屋に戻ってくるなり、椿に詰め寄った。
栢「外に出たな」
椿「えっと」
視線を逸らそうとする椿。
栢「隠そうとしても無駄だ。匂いでわかる。それに部屋にも入れただろう」
栢相手に誤魔化しは通用しないと思った椿は謝る。
椿「ごめんなさい」
両腕を掴まれて壁へと押し付けられる椿。
椿「あの、ちょっと」
焦る椿。
栢「悪い子にはお仕置きが必要だな」
栢が口を開き、その隙間から牙が見える。
噛まれると思った椿は咄嗟に瞼を閉じるが、痛みが走ったのは指先だった。
椿の右手人差し指を甘噛する栢。血を吸う行為ではない。
椿「んんっ」
栢「……臭う」
椿「お、お風呂なら昨日入りました」
栢「そういうことじゃない。俺以外の男の匂いがすると言っているんだ」
椿(もしかして、あのとき抱きしめられたから?)
栢「チッ。あいつ」
栢は舌打ちをすると椿を米俵のように抱きかかえてシャワールームへと連行する。
そして、服のまま椿をバスタブへと入れた。
椿「なにを……!」
湯船の中でワンピースの裾がめくれる。
そこから侵入しようとする栢の手。
椿「だ、だめ」
栢「俺の言いつけを守らなかった罰だ」
椿「そんなっ」
栢の指が椿の太ももを撫でる。
羞恥心から瞳を潤ませる椿。
栢は首筋に、鎖骨に、腕に、順番にキスを落としていく。
そのキスが足先まできた頃には、椿の顔は真っ赤になっていた。
栢「……これに懲りたら俺の言いつけはきちんと守ること。いいな」
栢の言葉に椿は黙って頷いた。
栢「……いい子だ」
最後に椿の頭に軽くキスをして、バスルームから出て行った栢。
椿はお湯に潜りブクブクと息を吐く。
椿(あれじゃあまるで他の人に嫉妬してるみたい。吸血鬼にとって人間はただの餌じゃないの──?)
扉の外で「はぁー」とため息をつき、椿に触れていた手を見つめる栢。
栢「ようやく手に入れたんだ。誰にも渡さない」
強く拳を握りしめた。