私と彼の溺愛練習帳
 真昼のモン・サン=ミシェルも見事だった。青い空と青い海に浮かぶ姿は風情がある。その建物にぶつかりそうなほどに迫ったり回廊をくぐりぬけたり、飽きさせない映像が続いた。

 夕方は切ない曲になった。マジックアワーの名の通り、徐々に魔法のようにたたずまいを変えていく。赤く染まり、金色に染まり、やがて紫紺に染まる。修道院に明かりが灯り、海に照り返しが映える。

 夜の闇が訪れる。満月を背にモン・サン=ミシェルは威容を誇る。音楽は静かにフェードアウトし、映像も終わった。
 ミュージックビデオもほかの空撮も見事だった。

 こんなすごいものを撮る人と暮らしているなんて。
 そんなこと美和だけじゃなく人には言えないと思う。釣り合わないと言われるに決まっている。自分でもわかっているのに。

「愛されてるんですね」
 無邪気に美和は言う。
「そうかな……」
 恋人ではない。なによりすいぶん年が違う。だけど、すごく甘やかされている。
 猫、と言われたことを思い出す。猫を溺愛する人ってあんなふうだろうか。

「またまたあ! バックハグで元カレを撃退したって聞いてますよ! とんでもないイケメンだとか。見たかったなあ。私もイケメンの彼氏ほしい」

 違う、とは言えなかった。恋人でもない男にハグされたなんて思われたくない。実際にされているのだが。
 彼の母はフランス人だというから、ハグは普通なのかもしれない。とはいえスキンシップが多過ぎる気がする。

「あれ? ネイルしたんですか?」
 雪音はこれまでネイルをしていなかった。節約したかったから。
「ポリッシュだよ」
 答えながら、昨夜のことを思い出した。



 昨夜、雪音がシャワーから出ると急に閃理が言った。
「ポリッシュを買ったから塗ってあげる」

 パジャマを着た彼女をソファに座らせ、手をマッサージした。甘皮の処理をしてやすりで形を整える。ベースを塗ってからポリッシュを塗った。おとなしめのピンクベージュだった。

 そこまでは良かったのだが。
「乾くまでおとなしくしていてね」
 そう言って足のマッサージを始めた。
< 42 / 192 >

この作品をシェア

pagetop