さまよう綸
 ドアを開けると早朝にも関わらず鋭い目付きとセクシーさを合わせ持った正宗が紙袋を手に、少し目元を緩めて言う。

「綸…眠れたか?」

 私が答える前に彼は体をドアに滑り込ませ、紙袋を持たない手で私を子どものように抱き上げた。ぉわっ…危ない…狭い部屋のことだ。彼は2歩進むとまず紙袋を座卓の横へ下ろし、両手で私をとても大切そうに抱き直す。

「飯…食ってる?軽すぎないか?」

 至近距離で見つめて言わないで欲しい…その声は反則だ。胡座をかいて座るとその上に私を乗せ座らせるのもやめて欲しい。

「っ…ちょっと…下ろして」
「この方が足、楽だろ?このまま食え」

 そう言う彼が紙袋から取り出すのは、重箱と皿、箸、お茶まで…ここで何も準備しなくていいように用意されている。ダメだ…相手が誰であれこういう関わり方は苦手だ。

「…帰って…お願い…これも…持って帰って…」
「…また来る。飯はちゃんと食え。先生は9時ごろ来る」

 正宗は胡座をかいたまま私を一度ぎゅっと抱きしめ、旋毛に唇を落とすと静かに出て行った。ご飯置いて行かないで…はぁ…放っておいて欲しい…その場でバタッと寝転んだ私はまだ眠かったのか、そのまま微睡んだ。

 いや…これいつだったっけ…夢だ…起きなきゃ…
 
 綸ちゃんって誰が名前つけたの?お父さんもお母さんもいないのに、駒村って誰の名前?じゃあ田中でも佐藤でもなんでもいいじゃん。あははは、可哀想なこと言っちゃダメだよー余計に可哀想だよーこの前の参観も今度の運動会も誰にも見てもらえないだけで惨めなんだから名前までいじらないであげようよ…

 …こんな夢いらない…夢だ…起きなきゃ…

 綸ちゃん、お母さん死んだの?だから施設にいるの?施設って夕食どこかでもらったパンとかだけなの?えー可哀想だねー給食わたしのあげようか?あはははは…

 …死んだかなんて知らない…施設前に捨てられていたんだもの…いらない…もらわない…もらうものか…

「…ちゃん、ぃ…とちゃん…こんなとこでいつから寝てんのや?」
「…はぁ…起きた…起きられた…」

 息を吐き目を瞑ったまま額に腕を置いて、起こしてくれた先生に少しだけ感謝する。

「鍵開いてたで、無用心やな」

 先生がそう言いつつ、もう高須がアパートを見張ってるから何とも無いがな…と思っていることも、先生が盗聴器を身につけていることも知らず、古い夢に弱っている私はぼーっと口を開いた。

「何も取るものが無いので鍵が開いていても問題ないです」
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