早見さん家の恋愛事情

第十七話


 コンコンコン。

 ノックの音がして我に返る。

「あ、はい!」

 返事をすると、水原社長が顔を覗かせながら声をかけてくれた。

「早見さん、夕食は出来てますか?」
「え!?」

 ハッとしながら時計を見ると七時を過ぎていた――しまった!
 少し読もうと思っていただけだったのに、いつの間にかこんな時間! 没頭していたから気づかなかった――爽兄ちゃんがくれた本は面白くないって言ったけど、今回の本は意外と面白かったのよね。
 そんなことより!

「い、今すぐ作ります!」
「慌てなくて大丈夫ですよ、出来たらまた呼んでくださ――」

 ぐぅ。

「あ」
「本当に申し訳ありません! 殆ど出来てるんで、温めて付け合わせ作るだけなので!」

 あんなに余裕だと思っていたのに、まさかここに来て本に時間を取られるなんて!
 私は慌てて栞を挟んで本を閉じ、机の上に叩きつけるように置いてからその勢いで立ち上がる。

「そうですか? では、リビングで待たせてもらいますね」
「はい!」

 私はバタバタと扉を閉めることも忘れ、水原社長の隣を通り過ぎながら返事だけしてキッチンへ急いだ。
 水原社長が私の代わりに扉を閉めながら何かを気にしていたように思えたけど、そんなこと気に留めている場合じゃない。っていうか、私が閉めないといけないのに、閉め忘れるって何!? でも、急がなきゃ!
 キッチンに着くと、冷蔵庫から鍋を取り出して、IHで温める。炊飯器を開けて、ご飯が炊けていることを確認! 付け合わせは何にしよう? 野菜室を開け小松菜を取り出す。それを適当な大きさに切ってからレンチン。その間にお味噌汁を用意する。これも作っておくべきだった……と後悔先に立たずなので手を動かす。
 さっと火が通るものがいいわね。シンプルにお豆腐とわかめにしましょう。もう一つ小さな鍋を取り出して、水を入れてIH起動。冷蔵庫からお豆腐と乾燥わかめを取り出して、乾燥わかめはそのままイン! お豆腐は適度な大きさに切ってイン! お出汁も入れちゃえ! 小松菜のレンチンが終わると、ボウルに移してすりごまと麺つゆで味をつけ、完成! 角煮がそろそろ温まって来たかな? ――まだでした。小松菜の胡麻和えを小皿に移し、テーブルに置く。水原社長は、ソファに座ってテレビを見ていた。急げ急げ! キッチンに戻ると、味噌汁の鍋が沸騰していたので、火を止めてお味噌を投入。これが少し時間かかるのよね。何でお味噌を溶かすのってこんなに時間がかかるのかしら? なんて考えていたら、隣の角煮がふつふつと音を立て始めた。やっと出来た! お味噌汁をお椀に移して、テーブルへ持って行く。今度は角煮の番ね! もう既に適度な大きさに切ってあるから、それをトングで取り出して平皿に盛り付けて、それもテーブルへ。最後にお茶碗にご飯をよそってテーブルへ持って行き、箸をセッティングして、お茶も用意して、さあ出来た! 時間を確認する。よし、十分!

「水原社長! 出来ましたよ!」

 額の汗をぬぐいながら、声をかけた。

「いい匂いがしていました。本当に早かったですね。さすがです」
「いえ、そんなことは……」

 褒められると照れてしまう。
 水原社長が席に着いたので、私もその対面に座る。顔を見合わせると、水原社長は微笑んでくれた。

「ありがとうございます。美味しそうです」
「よ、良かったです」

 私は何だか恥ずかしくて、水原社長の顔をちゃんと見れない。

――何かしら、この空気。

 まるで付き合いたてのカップルのような――いやいや、違うから! 雇い主と家政婦だから!!

「頂きます」
「あ、はい、どうぞ!」

 水原社長が箸を取り、角煮を口へ運ぶ様子を緊張しながら見届ける。

「――美味しい」
「よ、良かったです……」

 伊達に爽兄ちゃんや妹達にご飯作ってた訳じゃないし、不味いことはないと思っていたけど、美味しいって言ってもらえると、やっぱり嬉しい。

「早見さんはお料理がお上手なんですね。これからの夕食が楽しみになりました」

 ちゃんと飲み込んでから話してくれる所は礼儀作法がなっているように思う。
 何だか嬉しくなって気持ちが大きくなる。

「あ、呼び方なんですけど、花菜でいいですよ。苗字で呼ばれることが少なくて、慣れないんです」
「そうですか……では、花菜さんと呼ばせてもらいますね」
「はい」

 何だか浮かれてしまう。そんな自分を見て見ぬふりして一口食べようとしたら、思いもよらない言葉が聞こえて来た。

「私のことも直澄でいいですよ」
「え――」

 箸で持っていた角煮がボトッと平皿に帰って行った。
 水原社長のことをお名前で……?

「そ、それはさすがに!!」

 箸を置いて両手を振りながら応えると、やっぱり返って来るのは笑顔。

「私が花菜さんと名前で呼ばせて頂くのですから、花菜さんも私のことを名前で呼んでくれないと平等ではありません」
「それは――で、でも私は雇われている身ですので……」
「じゃあ、その雇われ仕事の一つにしましょう」
「え……」
「呼んでみてください」

 大人しく両手をテーブルの上に置いて、目をパチパチさせながら口を動かす。

「な、直澄、さん……」
「はい」

 水原社長――直澄さんは、満面の笑みで答えてくださる。

 どうしたらいいんだろう……私はこの人のことを――。

 その後は、ただただ直澄さんの素敵さを思い知らされながら一緒に夕飯を食べた。いつもより少ない人数の食卓なのに、何だか心は暖かかった――。




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