早見さん家の恋愛事情
case2‐2 恋愛初心者(ルーキー)―次女花菜の場合―後編

 バタバタバタッ!

 早朝目が覚めたのは慌ただしい物音が原因だった。
 扉の向こうで直澄さんが忙しなく出勤準備をしているようで、私はそんな様子が気になって上体を起こした。
 パジャマのままだと恥ずかしいのでちゃちゃっと白が基調のワンポイントに花柄の入ったワンピースに着替えて扉を開け、リビングダイニングの方を確認する。慌てた様子でネクタイを結んでいる直澄さんが目に入った。

「あの、直澄さん」

 声をかけながら近づくと、私に気が付いた直澄さんの体がビクッと反応した。

「あ、花菜さん! 起こしてしまいましたか? 申し訳無い……寝坊してしまって」

 恥ずかしそうに肩をすくめる様子にクスッと笑みが漏れる。
 なるほど、それで急いでいるんだ。直澄さん意外と抜けているから確かに寝坊しそう。社長さんだから余計遅刻出来ないもんね。大変そう。
 私はスッと手を伸ばし、ぐちゃぐちゃに結ばれているネクタイに触れた。

「慌てていると、逆に上手く出来ませんよ」
「あ……ありがとうございます」

 たまに爽兄ちゃんのネクタイを結んでいたから慣れている。

「はい」
「申し訳ない――とても綺麗に結べていますね」

 微笑んでくれた直澄さんに、私も微笑んで返す。

「で、では、行って来ます!」
「行ってらっしゃい」

 直澄さんはバタバタとまた足音を立てながら玄関へと向かった。
 話し声が聞こえていたので、もう荻さんも来ているんだろうな。
 私も自室へ戻ろうと体を反転した所でソファの上に置き去りにされたカバンが目に入った。

「直澄さん!!」

 急いでカバンを手に取りながら、玄関の方へと声を上げる。
 廊下とリビングダイニングを隔てる扉を開けると、二人の姿を認めた。

「カバン! 忘れてますよ!!!」
「え!!??」

 直澄さんは自分の両手を確認しながらハッとしたように私を見た。
 足早に近寄ると、カバンを丁寧に受け取って、微笑んでくれる。

「ありがとうございます、花菜さん。助かりました」
「いえ、気を付けて行って来てくださいね」
「はい、そうします」

 直澄さんと荻さんは私に一礼してくれて、エレベーターに乗り込み、会社へと向かった。
 一人になった廊下で、私はぽつりと呟く。

「――何これ」

 冷静になってみると、顔が赤くなった。

――何か、夫婦みたいじゃない?

 いやいやいやいや!!!
 私が送り出したのはご主人様であって旦那様ではないのよ!!?? いったい何を考えているのかしら!!! いい加減にしなさいよ、私の思考!!! 私の思考の癖に私を追い込むなんてどういうつもり!!??
 こういう時は気持ちを切り替えて仕事よ、仕事! 体に叩き込んでやるわ、私は家政婦なのだと!
 掃除機をかけて、カーペットをコロコロして、洗濯機を回して、自分の朝食も準備しなくちゃ!

――あれ、これって主婦じゃない?

 いや、そもそも主婦をやるのが家政婦の仕事なのよ。もう、全くいい加減にしてよ!
 あれから一ヵ月が経ち、夕飯は毎日一緒に食べるようにしている。そのせいか、距離も徐々に縮まってきたような気がしていて嬉しさもあるけど、複雑さが圧倒的に勝っている。
 当り前よね、私は家政婦。ご主人様を好きになる訳にはいかない立場なんだから。
 朝食を一人で済ませ、お皿を洗ったら、家を出る三十分前になった。今日は久しぶりに大学に行くの。沙耶香にも会えるかしら? 身重な体ではあるけど卒業はしたいって言っているから、今日も来る筈だけど……体調は大丈夫なのかしら? 後で少し連絡してみよう。荻さんに直接聞いてもいいわね。そうだ、荻さんに連絡しないと。持たされたスマホを手に、連絡を入れると、直ぐに了承の旨の返信があった。
 それにしても、つい一時間ほど前に直澄さんを会社へ送って行ったのに、今度は私も送ってくださるなんて、荻さんも大変だわ……。会社では別の秘書さんがいるから問題ないって言ってくださったけど、そういう問題じゃないというか……沙耶香の話では気力も体力もバケモノって聞いたけど、人間限界ってあるものよ? まぁ、直澄さんもそこら辺は考えていると思うけど。
 ああ、そうだ! 私は三十分の間に大学へ行く準備をしないといけないんだった!




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