嘘と恋とシンデレラ



 ドアを開けると、窺うような様子の彼と目が合った。
 眉を寄せたままの硬い表情は、どこか緊張しているようにも見える。

「ごめんな、いきなり来て。……心配で」

「ううん、ありがとう」

 今までのことが分からないから、どう接するべきか迷ってしまう。
 それはふたりともに言えた。というか、これから関わる誰にでも同じことが言える。

 何となく距離感が掴めず、わたしは口を(つぐ)んでいた。
 会話の主導権を全面的に委ねていると彼が口を開く。

「お前さ、本当に記憶喪失なのか?」

 こちらから切り出そうと思っていたけれど先を越された。
 昨日のわたしの態度からそう推測したらしい。

 当然の結論だった。
 彼に対しては“誰ですか”なんて直接尋ねてしまったから。

 口端を結んだまま黙って頷くと、彼が一歩踏み込んでくる。

「俺のことは?」

「……ごめん」

 彼にしても星野くんにしても、映画やドラマみたいに都合よくはいかなかった。

 すべてを忘れていても、会った瞬間に働く第六感とか“愛の力”────なんてものはまやかしみたいだ。

 また、悲しい顔をさせてしまう。
 そう思ったものの、彼は意外にも表情を変えなかった。

「…………」

 険しい顔をしたまま黙っている。

 それでもやっぱり、星野くんと同じようにわたしの双眸(そうぼう)をじっと見つめてきた。

 何かを見極めるかのごとく鋭いながら、動揺の色が濃く滲んでいる。

 ややあって、彼は止めていた呼吸を再開させた。

「そうか……」

 ため息混じりに呟く。
 あらゆる感情を押し殺しているのが見て取れた。

 一見冷静だけれど、きっと見かけほど心にゆとりはない。

 彼は俯きかけた顔をもたげ、改めてわたしにまっすぐな視線を注いだ。

「俺は愛沢隼人(あいざわはやと)。お前と付き合ってる」

 迷いなく凜然(りんぜん)と告げられ、ついまじまじとその瞳を見返した。

 先ほどとは違っている。
 わたしの抱く不信感や戸惑いをすべて受け止め、その上で包み込んでくれているような深い色。

(昨日もそう言ってたけど……)

 彼……愛沢くんもまた、確かに嘘をついているようには見えない。
 あまりに真剣な眼差しは一切揺らがなくて。

「…………」

 わたしが何も言えずにいると、愛沢くんは「だめか」とこぼして目を伏せた。

「え?」

「いや、何かちょっとでも思い出してくれないかなって思ったけど」

 いたたまれない気持ちになる。

 見つめたり話したりするだけで記憶が戻るのなら、迷わずそうする。
 でも、どうやらそんなに単純じゃないみたいだ。

「……そうだ、ちょっと歩こうぜ」

「今から?」

「うん、慣れた道だし何か思い出せるかも」

 思い立ったように言った愛沢くんの声色には、期待が込められているように思えた。
 そういうことなら確かに望めるかもしれない。

 わたしが「そうだね」と頷きかけると、さっと左手を握られた。

「離れんなよ?」

 引き寄せられ、傾いた身体ごとドアの外へ出る。
 驚いてしまうけれど、愛沢くんは強気な笑みを返すだけだ。

(何ていうか……強引?)

 星野くんとは対極(たいきょく)的な印象を受ける。
 気が強くて自信に満ちている、いわゆる“俺様”な感じ。

 どきどきしていた。不思議と心地いいリズムだ。
 近い距離も触れられることも、昨日はあんなに怖かったはずなのに。
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