【第二部】天妃物語 ~「私以外にもたくさん妻室がいた天帝にお前だけだと口説かれます。信じていいのでしょうか」~
「……ちちうえ、おしっこ」
「なんだと!?」

 黒緋がぎょっとして肩車している紫紺を見上げました。
 紫紺が真顔で前を見つめています。

「もれそう……」
「絶対もらすなっ、もう少し待て!」

 黒緋が慌てて紫紺を連れていこうとします。

「待ってください。私が」
「いや俺が行ったほうが早いだろ」
「ちちうえ、はやく~!」
「もう少し我慢しろ。俺の息子ならできるはずだ! 鶯、青藍を頼む!」

 青藍を押し付けられて慌てて受け取ります。
 黒緋は紫紺を小脇に担いで急いで走っていきました。

「間に合うといいのですが……」

 黒緋と紫紺を見送りました。
 抱っこしている青藍もきょとんとしています。

「あうあ〜」
「青藍も心配してくれているのですね」
「あい」
「ふふふ、ありがとうございます。黒緋様が急いで連れていってくれたのできっと大丈夫ですよ」

 私はそう言いながらも、内心申し訳ない気持ちがあります。
 今は正体を隠して地上に降りているとはいえ、天帝である黒緋に紫紺の世話をさせてしまいました……。
 黒緋が紫紺や青藍に積極的に関わってくれるのは嬉しいことです。私との子どもを愛おしんでくれているということは、その子たちの母親である私を特別に思ってくれているから。
 でも歴代天帝に子どもの世話をした天帝など存在しないでしょう。養育はあくまで妻の務めなのです。今はいい。今は黒緋も私を一番に愛し、天妃として尊んでくれています。
 でもね、人の心は不変ではないのです。流れ移ろう儚いもの。愛される努力を怠れば、あっという間に手中から転がり落ちてしまうでしょう。
 また(うと)まれて遠ざけられる日々に戻ってしまうのは嫌でした。その心が千切れるような日々を私は嫌というほど知っています。

「もし。もし。そこの御前(ごぜん)様」

 ふと背後から声をかけられました。
 振り向くと美しく着飾った女性が一人。衣装からして傀儡師一座(かいらいしいちざ)の方のようです。

「私ですか?」
「そうでございます。突然お声がけした無礼をお許しください。私はこの一座の座長をしております」

 ホホホッ。口元を隠して座長が笑いました。
 若い傀儡女(くぐつめ)にはない大人の色気をまとった女人です。にこりっと微笑む姿に私は身構えてしまう。

「座長様でしたか。私になにか御用でしたか?」

 演目の最中だというのに……。
 広場では傀儡師の剣舞から傀儡女のあやつり人形へと演目が移っています。
 木偶(でく)の人形が傀儡女の手によってまるで本当の人間のように動き回っていました。巧みな指さばきは息を飲むほど。傀儡女たちは容姿だけでなく所作や芸も磨いているのですね。
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