【第二部】天妃物語 ~「私以外にもたくさん妻室がいた天帝にお前だけだと口説かれます。信じていいのでしょうか」~
御前(ごぜん)様には不快な思いをさせたかと思い、非礼を詫びに参りました」
「別に、私は、不快な思いなんて……」

 誤魔化すように視線を泳がせました。
 不快な思いなら、……たしかにしました。
 私という妻が隣にいたというのに夫である黒緋の夜伽(よとぎ)相手になろうとしたこと、許せることではありません。
 しかしそれを正面から認めることは……できません。理想の正妻とは夫に女の影があっても堂々と構えているものなのですから。恥ずかしげもなく嫉妬して、もし黒緋に(うと)まれたらと思うと……。想像するだけで呼吸が止まりそう。
 でもそんな本音は億尾(おくび)にもだしません。平静を装って答えます。

「詫びなど必要ありませんよ」
「そうでしたか。お見それいたしました。ひと目見てやんごとない家の御前(ごぜん)様だと分かっていましたが、やはり貴族の正妻ともなると違うのですね。なかには嫉妬に狂って怒鳴り込んでくる方もいるもので。ホホホッ」
「そうですか」
「はい。私どもの一座にいる女はみな売られた女ばかり。生きる術として芸を磨き、ときに一夜の(とぎ)を務めることで銭を稼いでおります。先ほどの娘は故郷の村がイナゴに荒らされ、食うものに困って親に売られた娘です」
「イナゴの?」
「はい、最近イナゴの大群が村々を襲っているようですね。この峠に来るまでに立ち寄った村から娘を買ってほしいと頼まれました。あの娘以外にもたくさんの女人や子どもが買われていきましたよ。我が一座で買えたのはせいぜいあの娘一人、他の女人や子どもはどうなったか……。御前(ごぜん)様、どうか一座の傀儡女たちを哀れと思ってくださいませ」

 座長はそう言うと私に向かって深々と頭を下げ、立ち去っていきました。
 私は黙って見送ることしかできません。かける言葉がなかったのです。
 その昔、私は四凶(しきょう)を封じるために天上から地上へ落ち、伊勢の片隅にある村の貧しい家に生まれました。地上に落ちた私はなんの神気のない普通の人間で、白拍子として斎宮に仕えていなければ村のために売られることもあったでしょう。それは想像に難くありません。

「ははうえ〜!」

 ふと紫紺の声がしました。
 顔を上げると黒緋に肩車されてこちらに向かってきます。
 その姿にほっと安堵を覚えて口元がほころぶ。緩く手を振って応えると、二人が私のところに帰ってきてくれました。

「黒緋様、ありがとうございました。間に合ったようですね」
「ああ、紫紺がよく耐えてくれた」
「オレ、がんばったんだ」

 誇らしげな紫紺に小さく笑います。
 そうですよね、三歳児が尿意を我慢できたなんてすごいです。

「よく頑張りましたね。ちゃんと教えてくれて偉かったですよ」
「うん!」

 紫紺は大きく頷くと、黒緋に肩車されたまま広場に目を戻しました。
 私が抱っこしている青藍も「ちゅちゅちゅっ」と親指を吸いながらもじーっと広場を見ています。
 広場では傀儡女たちが木偶の人形をあやつって御伽噺(おとぎばなし)を紡いでいました。人形の見事な動きに紫紺と青藍の瞳はキラキラしています。
 私も一緒に見ていたけれど。

「どうした。浮かない顔をしているな」
「黒緋様……」

 黒緋が心配そうに私を見ていました。
 でもなにも答えられなくて、「気のせいですよ」と笑みを浮かべて誤魔化しました。




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