陰キャの橘くん
12階でエレベーターを降りると受付にいるスタッフに挨拶をして、ももは事務所へと入って行った。橘の変貌ぶりにさぞかし騒がしいことだろうと思っていたのに、意外と事務所内は落ち着いていた。
「おはようございます。」
ももが声を掛けると、数人のスタッフがおはよう、と返してくる。いつも通りの風景。

…あれ?

橘はどこかと思い見渡すと、ももの隣のデスクにいつもと変わらない橘がいた。しわしわのスーツにボサボサで寝癖だらけの髪。さすがにメガネは新しい物をかけているようだが、椅子に座っているその姿は猫背すぎて、まるでおじいちゃん。

…これは夢?
いや、今朝のが夢?
男に飢えすぎた私は、いよいよ幻覚が見えるようになってしまったのだろうか。

「あ…も、ももさん。お、おはよう、ございます…。」
ももに気づいた橘が顔を上げてニヤリと笑った。しかしメガネの奥の目は、やはり死んでいる。
これはいつものキモい橘くん。
なんで?あのキラキラした橘くんはどこへ行ったの?
やっぱり今朝のあの男は、別人?

「もも。ももってば。」
藤堂の声で我に返る。
「何、橘くんのこと見つめちゃってんの。」
「あぁ、ごめん。」
ももは自分のデスクに座り、パソコンを立ち上げた。隣の橘を見ると、人差し指をENTERに置いたまま、パソコンの画面を見つめている。
…何してんの。こわ。

「昨日もものこと橘くんにお願いしちゃったんだけど、無事帰れた?」
「あ…うん。無事に。」
家に帰ったのは今朝ですが。
「あんなに飲むなんてさ、やっぱ青山さんが原因?」
藤堂が向かいの席から声をひそめる。
「まぁカッコよかったよね。気持ちが騒ぐのもわかる。」
そう言って、うんうんと頷く。

「さっき、下で会ったよ。翔太に。」
「え。」
「また店に来いって言われた。」
藤堂が、身を乗り出した。
「え、行かないよね?」
「当たり前でしょ。行けるわけない。」
ももはパソコンの画面を見ながら言った。平然を装う。
「…そうだよね。」
椅子に座り直し、藤堂は安心したような顔をした。それでも何か言いたそうだったが、ももが黙ってしまったのでそのまま自分の作業に戻っていく。

…行けるわけない。半年前、あんな思いをしたんだから。
もう惑わされないって決めたんだから。

ももは、下唇をきゅっと噛んだ。
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