憧れの副操縦士は、許嫁でした~社長の隠し子CAは、パイロットにすべてを捧げられる~
「そうでもしないと、千晴はあの家で暮らすと言って聞かないでしょう。私から、大吾さんにお願いしたの」
「どうせお金でも積んで、無理やり解約したんでしょ!? 卑怯者!」
「千晴様……」
「もういい! ご馳走様!」

 副操縦士が何かを言いかけたけれど、どうせろくでもない話に決まっている。
 私は強引に彼の手を振り払うと、足早に部屋を後にした。

「千晴……!」
「奥樣、お任せください……」

 お母さんが私の名を呼ぶ悲痛な叫び声と、三木副操縦士が彼女を宥める声を聞きながら、突き当りの部屋から出ると廊下を全力疾走する。

 オーベルジュが複雑な構造をした建物でなくてよかった。
 真っすぐ続く長い廊下を突き当りまで進み、階段を下りればいいだけだから。
 早くしないと、彼が追いかけて来てしまう。
 捕まる前に、逃げなければ。
 でも、どこへ?

 財布の中にはワンピースを新調したせいで、一万程度の現金しか入っていない。
 クレジットカードはあるが、金持ちの伝を辿ればいくらでも足がつく。
 職場へ逃げ込もうにも、彼も同じ航空会社で働いている。
 追いかけるのは容易のはずだ。

 私が彼らの手から逃れる術など、どこにも見当たらなかった。
 困ったな……。

 ――これから、どうしよう。

 長い廊下を走り切り、階段を駆け下りる時に足元から聞こえるパタパタというスリッパ特有の音を聞きながら、私はあることに気づく。

 ――そうだ。靴!

 従業員から出迎えられた際、スリッパと引き換えに取り上げられてしまっていた。
 フロントの呼び鈴を鳴らして、鍵を開けてもらえなければ外に出れない。
 スリッパを借りパクすれば、このまま出られなくもないけれど……。
 社長の娘が万引きなど、LMM航空の名に傷がつく蛮行だ。

 ――ストッキングを履いたまま、夜の街を疾走するしかないか……。

 櫻坂まで出れば、人混みに紛れるはずだ。
 私は覚悟を決めると、スリッパを脱ごうとして――。

「落ち着け。キャプテンと奥樣は……」
「離して!」

 音もなく忍び寄ってきた副操縦士に、手首を掴まれてしまった。
 再び彼の手を逃れようと暴れるけれど、一向に離れる気配がない。
 ロビーで叫んでいたら、宿泊客の迷惑になる。
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