青春は、数学に染まる。

真帆の思い

全然眠れなかった。

あの後、早川先生は何事もなかったかのように勉強を始めたけど、非常にびっくりした。


早川先生が伊東を追い出したこと、私を傷つける伊東が許せないと言ったこと…。





「ま~ほ。おはよう」
「あ、おはよ」


翌日の教室。自分の席に座ってボーっとしていると、有紗が肩を叩いた。


「えぇ! 目のクマやばい!! どうしたの!」
「いや…聞いてくれる?」


私は小声で、有紗に昨日の出来事を説明した。


「…………」
「有紗?」


有紗はボーっと固まっていた。そして机に手を付いて興奮し始めた。


「やっぱり早川先生もリーチじゃん!!!」
「ちょ!!! 声大きい!!!」
「あ、ごめん!!」


有紗は落ち着きを取り戻して、考えながら言葉を継いだ。


「それ普通の生徒に言う? 私には考えられないんだけど。早川先生も真帆に気があるとしか思えないよ」
「も、って何よ」
「伊東先生もってこと」
「………」
「選び放題 ♡」
「…私を軽い女みたいに言わないで」

2人とも気があるなんて、そんなこと有り得ない。



そして、全然分からない。

伊東も早川先生も、何を考えているのか分からない…。
 








放課後、私は律儀に数学科準備室へ向かう。

気が重い。


 

そして昨日の早川先生を思い出すと気持ちが少し落ち着かない。





頭、ポンポンされた。



認めたくないけど。…正直、凄くドキドキした。





「…はぁ」

「んお? …よぉ、藤原。そんな溜息つくと幸せ逃げるよ?」
「………」


いつもタイミング悪く現れる伊東。ニヤニヤしながら片手を上げてこちらに近付いてくる。


「私の前によく現れますよね」


伊東は表情を崩さず、腕組んで首を傾げた。


「いや違うだろ、藤原が数学科準備室によく現れているんだろ」
「職員室で過ごさないんですか」
「沢山の先生がいる中で落ち着かないよ」


とはいえ数学科準備室も別に落ち着くってわけじゃないけど。と笑った。



そんな風に笑う伊東に対して、妙に腹が立つ。

(ちり)のように積もった伊東に対する怒りの感情が溢れ出てくる。



「ねぇ、先生。ずっと気になっているんですけど。何で伊東先生はそんなに私に絡んでくるんですか。私を馬鹿にしては謝って、こうやって話しかけてきて。意味分かんないです」


私の態度が想定外だったのか。伊東は目を見開いて固まった。


「数学が出来ずに補習ばかりの私が面白いですか? 先生が受け持っている3年生にはいないですもんね。数学できない人」


全然口が止まらない。ここぞとばかりに溢れ出てくる。

伊東は固まったまま何も言わない。


「中学の頃から数学だけはできませんでした。その時も補習ばかり。高校入ってからも赤点回避できずにまた補習。どれだけ真面目に勉強してもできないんです。他の科目は全部90点以上なのに、数学だけ赤点。早川先生はそんな私を見捨てずに、夏休みまで補習をして下さり、今も私が理解できるまでとことん付き合ってくれます。本当に優しい方です。私、担当が伊東先生じゃなくて本当に良かった」



伊東の悲しそうに下を向いている。無言のまま何も言わず…静かに頭を掻いていた。



その様子を見て、やってしまった…そう思った。


「…すみません、言い過ぎました…」



冷静になり素直に謝ると、少し離れた場所から声が聞こえてきた。



「別に言い過ぎじゃないですよ、藤原さん」
「早川先生…」


廊下の角から現れた早川先生は、眉間に皺を寄せながら近付いてきた。


「途中から聞いていました。盗み聞きみたいになり申し訳ございません。伊東先生は藤原さんのことを何も知らないのに、容認できない言葉を浴びせました。僕、何度も言いましたよね。貴方には接点無いのだから、藤原さんには関わるなと」


眼鏡越しに鋭い視線を伊東に向ける。普段穏やかな雰囲気の早川先生から、怒りの感情が(にじ)み出ている。


「まずは藤原さんに謝って、その上で二度と関わらないことを約束したらどうですか」
「………」
「ほら伊東先生、早く。謝罪です」


伊東も眉間に(しわ)を寄せた。そして下唇を噛みながら後ろを向く。

「……」


そしてそのまま数学科準備室前から走り去って行った。


「何と大人気(おとなげ)ないですね。そして、生徒の前で廊下を走るなんて、教師失格です」


 

そう言いながら早川先生は眼鏡を外して溜息をついた。

七三分けにされた前髪が少し崩れていて、いつもと違う雰囲気になっている。


「早川先生、ごめんなさい。伊東先生のことも、数学の補習も…迷惑かけてばかりな気がします」
「…何を言っているのですか。この件に関しては悪いのは伊東先生一択です。数学の補習に関しては僕がやりたいからやっているだけですから」


早川先生は体を(かが)めて私と目線を合わせた。


「僕、伊東先生が藤原さんに絡むことで、藤原さんが益々数学嫌いにならないか心配もありました。数学ができないことは決して悪い事ではないです。ただ、高校生活が3年間あります。そこで藤原さんが少しでも数学が得意になれば、万々歳じゃないですか…。以前、数学が進路に影響してくるからと言ったのは本当ですけど、何より数学を少しでも得意になって自信として欲しいのです。藤原さんは数学のこと、まだ嫌いですか?」


早川先生はそこまで言って、ニコッと微笑んでくれた。


伊東に出会う前は早川先生のこと思って気が重くなっていたが、いつの間にかその気持ちも吹き飛んでいた。



「まぁ、数学は嫌いです。大嫌い。…それでも私、数学できるようになりたい。今は…少しだけ、そう思います」



そう言うと、早川先生は飛び切りの笑顔を見せてくれた。



「ふふっ。嬉しいです。藤原さん、その思い大事ですよ。僕はいくらでもお付き合いしますから」


早川先生は軽く私の頭をポンポンっとして、足を伸ばした。

「開始が少し遅くなりましたが、始めましょうか」


数学科準備室の扉を開けて部屋の中へ導いてくれた。
 





高校に入学してもうすぐ半年経つ。

“たった半年” なのに、色々ありすぎて頭がパンクしそう。





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