青春は、数学に染まる。

数学補習同好会


「………………なにこれ」



放課後の数学科準備室。


いつものように行くと、何やら様子が違う。
数学科準備室のルームプレートの下に、縦長の別のプレートが掛かっている。


『数学補習同好会』





「な、なにこれぇ!」


私は叫びながら数学科準備室の扉を勢いよく開けた。


「お、一段と元気がいいですね。会長」
「会長!?」


部屋の中には上機嫌な伊東と不機嫌な早川先生がいた。


「全く…。藤原さんに関わるなと言っているのに、一体どういうことですか。そもそも藤原さんに補習しているのは僕ですけど」

不満そうな早川先生。そりゃそう、ごもっともだ。


「だから正顧問を早川先生にしたじゃないですか。副が俺」
「一切許可していないのですけどね。そもそも僕、伊東先生のこと許していませんけどね」


早川先生が眼鏡越しに伊東先生を(にら)む。

冷たい視線に背筋が凍りそうになるが、当の伊東には全く効いていない。




「補習は遊びじゃないのです。藤原さんを使って伊東先生のストレスを発散させようと思っているなら、今すぐ同好会申請を取り消しに行きます」
「遊びじゃないのは分かっているし、別に俺は藤原でストレス発散をしている訳じゃない」
「…貴方とは相容(あいい)れないですね。僕と藤原さん、2人きりの補習を邪魔しないで下さい」
「俺だって数学教師なんだから、混ざっても別に良いじゃない」
「僕と貴方じゃ教えるスタイルが違うでしょう。2人で教えてどうなるのですか」
「じゃあ俺が補習引き継ぐから、早川先生は見学しといて」
「藤原さんを受け持っているのは僕です。出しゃばらないで下さい」



「……」


な、何なの…。




これはあれか。漫画なら「私のために争わないで!」という状況のやつかな。…いや、多分違う。


伊東と早川先生って水と油だなぁと、しみじみ思う。




「そりゃ藤原だって、放課後に何か活動をしたいかもしれないじゃないか」
「え?」

そんなこと言ったこと無いが。
………私の意志はどこ行った?


帰宅部なのは、早く家に帰ってゴロゴロしたいからなんだけど…。


「あの…、私は帰宅部のままがいいんですが。学校終わったらさっさと帰宅したいのです」
「そんなぁ。そんな寂しいこと言わないでよ。俺とお茶でもしようよ」

伊東は私に近付いてきて、軽く肩に触れた。
それを見た早川先生はすかさず伊東の手を払いのける。

あまりにも自然な動き…。



「お茶? ふざけないでください。違うでしょう、僕とお勉強をするのです。そもそも伊東先生は学外で空手をやっているから部活の顧問を免除されているじゃないですか。同好会と言え、顧問やっている余裕は無いでしょう」
「別に、そんなことないよ。補習だってそんな長い時間していないじゃないか。他の部のように夜遅くまでやるから困るわけで。数学の指導くらい何てことない。それに、お前だって親の介護があるから免除されていたんじゃないか?」
「僕の事は関係ありません。…大体、どうしてそこまで伊東先生が関わろうとするのですか。やりすぎると気持ち悪いですよ」


止まらない二人の会話。私が入る(すき)も無く淡々と続く。


「その辺はお前も同じだろ。夏休みにまで特別補習をやっちゃって。2学期入ってからも補習。楽しい高校生活を早川先生で染める気か?」
「補習を行うだけで僕の色に染まってくれるなら、それに越したことはないです。現状、“伊東先生の色” が少々厄介ですから」
「………ははははははっ。へぇ、そういうこと」

伊東と早川先生の間でどんどん会話が進むが、私には全く話の内容が見えない。
どうすることもできず、ただ突っ立っているしかなかった。


「なら良いじゃん。一緒に数学補習同好会の顧問やろうよ。敵同士、楽しく反発し合いながらね」
「発言が物騒(ぶっそう)ですね。僕は穏やかに過ごしたいので。反発し合いはお断りですが、顧問については…もういいです。好きにしてください」

そう言って早川先生はやっと私に目を向けた。


「藤原さん、またお待たせしてしまい申し訳ございません。ここでは伊東先生の邪魔が入るので部屋を移動しましょうか」

伊東の存在を無視するかのように、早川先生はプリントや本などをまとめ始める。

「え、邪魔ってなんだよ。同好会初日だろ。部室はここだし」
「どこで活動行うも、正顧問の自由です」
「はぁ…」

伊東はチラッと早川先生の方を見て、私に近付いてきた。そして小声で言う。


「なぁ藤原。補習終わったら少しこっち来てよ。少し話したい…」

だが小声の意味も無く、伊東がそういうと同時に早川先生はすぐに振り返った。眼鏡越しに鋭い視線を向ける。


「こら。貴方の私的な感情を挟まないで下さい。貴方は毎日、青見くんの空手の練習でもしたらいかがですか。ここにいなくて結構ですから」
「青見のあれは曜日決まっていんの」


不満そうに呟く伊東を無視して、早川先生は私を出口へ誘導する。
口を小さく尖らせている伊東に向かって軽く会釈をして、数学科準備室を後にした。





数学科準備室を出ると、吹奏楽部が練習している音が聞こえてくる。

吹奏楽も良いなぁ。生まれ変わったら管楽器を学びたい…なんて考えながら歩いていると、早川先生が正面を向いたまま口を開いた。





「藤原さん。僕は貴女のことが好きです」




「…………?」




 ん?




「えっ!?」



早川先生、今何て??
ビックリしすぎて何もない場所で少し(つまづ)いた。



「冗談ではありませんよ。ただ、どういう意味かは詳しく言いませんけど」


私は思わず周りを確認した。周囲には誰もいないようだ。





詳しくは言いませんって…好きに複数の意味があったかな?

LOVEかLIKEかみたいなこと?





変わらず正面を向いたままの早川先生。どういう表情をしているのかは全く分からない。


「絶対……伊東先生に抜け駆けはさせませんから」




しばらく歩いて渡り廊下に差し掛かった時、扉のガラスに早川先生の顔が映った。一瞬見えたその顔は、怖いくらい険しかった。







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