気高き敏腕CEOは薄幸秘書を滾る熱情で愛妻にする
一章






 春の日差しが温かな四月上旬の有る日。金洞(きんどう)商会の秘書室に、ヒステリックな男性の声が響き渡る。
「駒井(こまい)くん! 今日の昼はいつもの青(せい)蘭(らん)邸じゃないのか?」
 名前を呼ばれた駒井咲良(さくら)が振り返ると、恰幅のよい男性が出入口を塞ぐように立っていた。相当怒っているのか顔が真っ赤に染まっている。
 咲良は慌てて席を立ち彼の下に駆けつけた。
「金洞副社長、本日の会食は銀座のレストランで、十三時からの予定となっております」
「昔から会食は青蘭邸と決まっているのに、どうして勝手に変更するんだ!」
「先方の原田部長がベルギー料理を好むと聞いたからです。予約を取る際に副社長に許可をいただきましたが」
「許可なんて出してないぞ! 駒井くんが勘違いしているんじゃないか?」
(そんなはずは……予約前と後で四回確認して、副社長も分かったって言ってたのに)
 けれど戸惑う心の声は飲み込むしかない。
 咲良が秘書として仕える金洞商会副社長、金洞太蔵(たいぞう)は決して自分の間違いを認めない、頑固で気難しい性格だからだ。
 ベテラン社員たちが言うには若い頃から癖が強い人物だったようで、五十九歳になった今もスイッチが入ると、気が済むまで大きな声で怒鳴り散らし相手が謝るまで収まらない。
「報告を失念していたのかもしれません。申し訳ありませんでした」
 咲良は諦めて頭を下げた。すると副社長は、自分の言い分の正しさが証明されたとでも思ったのか、まんざらでもないように大きく頷く。
「仕方ないな、次からは気をつけなさい。それより十三時ならそろそろ出ないといけないんじゃないか?」
 激しかった怒りはすっかり消えたようで、既に別件に関心が向いたようだ。
「出発は十二時三十分の予定です。車の準備が出来次第声をかけさせていただきます」
「うむ、分かった」
 副社長は横柄に頷くと、何事も無かったかのように出て行った。
「はあ……」
 秘書室に静けさが戻ると、咲良は疲れた溜息を吐いた。
(まだお昼にもなってないのに、疲れちゃった……)
 とは言え休んでいる暇はない。中断した文書作製の続きをしなくては。
 くるりと踵を返し自席に戻る。そのとき身だしなみのチェック用に置いてある姿見が視界に入り、咲良はうっと息を呑んだ。映る自分の姿が酷いものだったからだ。
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