岩泉誠太郎の結婚

椿の逃亡

 金縛り、それはレム睡眠中に脳だけが突然目覚めることで発生し、一時的に体を動かすことができなくなる現象なのだという。

 私は寝ていたわけではないけれど、岩泉君にプロポーズされたと脳が認識した瞬間、間違いなく金縛りにあった。

 自分の指にはめられた不自然な程の大粒ダイヤが、かろうじて視界の隅に入る。

『何これ、一体いくらするの?』

 絶対に高額過ぎるであろう指輪を身につけたことで恐怖や不安を感じてしまった私は、多分それだけで岩泉君の伴侶として相応しくないのではなかろうか。

 そもそも、結婚とか入籍とか、まず最初にその可能性を排除したというのに、まさかそこをピンポイントでえぐられるとは‥‥想定外過ぎて思考が限界突破した。

 混乱の極みに達していた私は、岩泉君の綺麗な顔が徐々に近づいてきたことで、意識を取り戻した。

 このまま彼を受け入れて、本当に大丈夫?わからない。わからないけど、なんか駄目な気がする。駄目なのか?どうしよう。わからない。

 ‥‥逃げよう。

 こうして私は、あの場から逃げ出した。

 しかも、大粒のダイヤを指にはめたまま。

「どうしよう!どうしたらいいの!?」

『はああ、誠太郎のやつ、やらかしてんなー』

 家に戻った私は速攻坂井君に電話して事細かに起こったことを説明、助けを求めた。

「とりあえず、この指輪の存在が色んな意味で怖過ぎて震える。外すのも怖いし、つけてるのも怖い。どうしたらいいの?」

『ケースがないならつけとくのが一番安全、かな?俺から誠太郎に連絡取ってみるよ。椿ちゃん、疲れてるでしょ?今日はもう寝た方がいいと思う。寝たら明日には少し頭がスッキリしてるかもよ?』

「このダイヤとお風呂入るの怖い‥‥」

『いや、大丈夫だから。まあ、どうしても怖いなら一日位お風呂入らなくても大丈夫でしょ』

「あああ!なんで私がこんなめにー!」

 電話を終えてすぐに布団に潜ったが、時差ぼけの影響もあって眠れそうにない。

 私と岩泉君が結婚なんて、本当に可能なの?付き合うだけでもどうかと思ってたのに、結婚なんて無理じゃない?

 第一、岩泉君は政略結婚するんじゃなかったの?婚約者とかいるんじゃないの?なんで私なの?

 本人に確認しなければわかるはずのない疑問が次々と浮かんでくる。いくら頭を悩ませたところで、どうしようもない。

 好きな人から結婚を申し込まれて、嬉しくないといったら嘘になる。

 でも、この指輪は私には重過ぎる。左手に感じるこの違和感を、無視することはできなかった。
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