岩泉誠太郎の結婚
 安田さんに逃げられてしばらく呆然としていた俺は、電話で啓介の家に呼び出された。

「お前、何してんだよ。椿ちゃん、完全に怯えてたよ?」

「怯えるって‥‥どうして?」

「ちゃんと椿ちゃんの気持ち確認した?あの様子だと、恋人になるって覚悟もできてなかったんじゃない?そこに結婚の話されたら、そりゃビビるでしょ」

「覚悟‥‥?」

「誠太郎は三角の御曹司なんだよ?普通に段階踏んでも厳しいのに、いきなり結婚は壁がでか過ぎ。あとお前、指輪やり過ぎただろ?つけとくのも外すのも怖いって半泣きだったけど‥‥」

「婚約指輪は給料の三ヶ月分が相場だろ?」

「いやいや、誠太郎は今副社長だよね?そこが既に相場から外れてるから」

 焦りは禁物だとわかっていたのに、なんでこうなった!?多少強引ではあったが、途中まではなんとか理性を保てていたはずだった。

 すぐそばで彼女を感じることができたこの数日間が幸せ過ぎて、手放したくないと強く思ってしまったのがいけなかった。

 本当は彼女を自宅に連れ帰ってそのまま囲い込みたかったが、それは我慢した。彼女がそれを望まないのは、考えるまでもなく明らかだから。

 だからといって、これまでのような彼女なしの生活を強いられるのは耐えられない。一日中彼女をそばに置きたいとまでは言わないが、せめてプライベートな時間くらいは自由に彼女と過ごしたい。

「すぐに結婚が難しいなら、どうやって彼女と距離を縮めればいい?彼女を傷付けないために8年も我慢したのに、今更中途半端なことをして外野につけ入る隙を与えたくない。でも今のままだと、彼女はいつまでも俺との結婚を受け入れられないだろ?」

「気持ちはわかるけど、無理強いして椿ちゃんに逃げられたら意味がない。お前は少し冷静になって、椿ちゃんがどうしたいか、ちゃんと話を聞くべきだと思うよ?」

 そうだ。この数日間、俺は自分の想いを伝えることに夢中で、全く彼女の話を聞こうとしなかった。彼女の顔に浮かんでいたのは、常に困惑か驚愕だった気がする。

 最後に彼女の笑顔を見たのはいつだ?最初に告白をしたレストランで、仕事の話をした時かもしれない‥‥

 彼女がずっと負の感情を顔に浮かべていたのに、それに気づかないどころか、そんな表情すらかわいいと浮かれ続けていた。俺は自分だけが満足して喜んでいたのだ。

「‥‥最低過ぎるな」

 すぐにでも彼女に会って謝りたかったが、それは啓介に止められた。

「今日はこのままうちに泊まって、少し頭を冷やせよ。明日俺が椿ちゃんをここに連れてくるから、今度こそじっくり話を聞くんだぞ」

 今夜は眠れそうにない。絶対に彼女を失いたくないから、冷静でいるために仕事をして、朝になるのを待つことにした。
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