私はなにも悪くない

1章 鳥籠 1-9

「愛ちゃんもう泣かない?大丈夫?」

「えへへ…ごめんなさぁい」

店を出て、二人並んだ帰り道。ソフトクリームを舐める子供が大人の背中を追いかける。

「それにしても今日は愛ちゃんと沢山話したね、付き合ってくれてありがとう」

「私も楽しかった!学校の話い~っぱい聞いて貰ったしさ」
 
殆どが自慢話でも、夏木愛が先生の物語に思い出の栞として挟まる事が喜ばしい。

「愛ちゃんの事沢山知れて良かったよ。やっぱりまだ知らない事が多いしね」

「中学生になったらもっと知る事になるけどねっ」

次の発表会も再び先生と踊る事が出来ると狭い世界に住んでいる私は信じていた。

「中学生かぁ、その頃には先生いないんだよね」

「えっ…どうして?」

胸が「キュッ」と締め付けられる。傍に先生が居ない世界で、私が羽ばたく未来が見えない。

「お母さんが病気でね、それで遠い所に行かないといけないんだ」

先生は私と同じ、虚ろな目をしていた。

「まだ愛ちゃんしか知らないからさ、皆には秘密にしてね?」

「うん。解った」


親の為、脳が理解を拒む理由。先生を奪う「悪者」が、身体を壊した「悪物」が許せない。


「ねえ先生」

「どうしたんだい?」


「お母さんって、そんなに大切なの」


素朴な疑問をぶつけると、先生がぐしゃぐしゃと頭を優しく撫でてくれた。

「大切だよ、何時か愛ちゃんも大切だって思う時が来るよ。どっちのとは…言わないけどさ」


「ふぅん、そうなのかもね。」


先生にとっては大切なのだろう、手にベタ付いたソフトクリームが指に付く。「煩わしいな」そう思い私は持っていたサイ柄のハンカチで親指を弾いた。


「先生の言うような日が来ると良いね、じゃあそろそろ会えなくなるんだ。寂しいね」


大人の背中を見上げながら別れを実感する、お互いの物語にもう私が出る事は無いのだろう。

「そうだね、先生も寂しいよ。この教室には色々とお世話になったしさ」

先生の瞳から、一筋の涙が流れる。

「最後に踊れた子が愛ちゃんで良かった、愛ちゃんと…出会えて楽しかった」

私と出会えて嬉しかった。人生で初めて言われる物語のヒロインとした言葉が芽吹き、咲いた。



「そっか、憧れとか大人だからではなく私が大切だから助けて支え、手を差し伸べてくれる。信頼関係のある者同士お互いが無償で助け合う、この気持ちが本当の『純、愛』なんだ」



私は先生とバレエが大好き。自分と向き合い正直になる事の大切さを教えてくれた。

「自分の気持ちに嘘は付かない、私は反省も後悔もせず前を向いて生きたい」

本当の意味で純粋に人を、愛する気持ちを与えてくれた。私を一人の女性として育ててくれた。この感情は大切な思い出として、私の物語に栞を挟みたい。

「ねぇ、珠子先生。こっち来て?」
 
先生には色々支えて貰った。

「なに?どうしたの?」

次は私が返す番だ。


「最後におんぶして!おんぶ!先生少し屈んで!」


私が与えられるモノは、この愚直な気持ちだけ。


「仕方ないなぁ。夏木ちゃんもまだまだ子供だね」

そう、私は子供。大人の先生とでは「今はまだ」釣り合わない。


「だからせめて、私の初めてを捧げた大好きな人だって事は忘れないでね」


初恋との決別、屈んだおでこへと私は王子様にお別れの優しいキスをした。

「えっ愛ちゃん?今何を!!」

慌てふためく珠子さん。大人を出し抜けた事が少しばかり嬉しく、恥ずかく、興奮する。

「えへへ…お別れのプレゼントだよ?」

ずっと実らない恋をしていたのだ、これ位しても罰は当たらないだろう。

「私ね、ず~っと先生が大好きな人だったの!でも完璧に踊れなかったでしょ?だからファーストキスは先生のおでこで妥協したの!私の初めてを捧げたからには夏木愛を忘れないでね」

珠子さんには喋らせない。乙女はお喋りで、我儘なのだから。

背中に翼が生えたかのように、軽快な足取りで地面を蹴る。


「キスしちゃった!キスしちゃった!」


心臓が「キュン」と鳴り響く、呼吸をする度に匂う香水の残り香。どれくらい走っただろう、後ろを振り返ると私の影が、夏木愛を追いかけていた。


「思い、伝えられた…かなぁ」


今は一方的な感情の押し付けでしかない。しかし恋する乙女は成長し、前を向き、少しずつ大人になっていく。私は早く大人になりたい。先生から見た私の背中は大人に見えただろうか、怖くて逃げた問いの答えは誰も知らない。


「ただいま」


私は答えが出ないまま、主役になれない我が家に帰る。

「づつう、ただいま。今日はいっぱいお話し聴いてね?」

ベッドの上で一人づつうと抱き合う、今日は寝かせるつもりはない。

「あのね今日発表会だったのね、コンサートホールに行ったんだけど帰り道に…」

珠子先生との一日が走馬灯のように蘇る。もう先生には会えない、実感するほど涙が溢れる。

「今回の演技が最後ならきっと完璧に踊りたかっただろうなぁ。私が失敗したせいで…」

づつうを強く抱く。心残りが胸を打つ。震えた声が、私に弱音を吐かせていく。





「私が悪かったの、ごめんなさい」



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