青春は、数学に染まる。 - Second -

お互いの不安



住宅街に入り、ゆっくりと歩き続けていると、向こう側から大股で近寄ってくる人が見えた。


「真帆さん」


先生。

七三分けでは無い前髪が風になびいている。
紺色のダッフルコート…可愛いな…。


お互い近付くと、先生はそのまま優しく抱き締めてくれた。


「こんばんは」
「こんばんは、裕哉さん」
「今日はお買い物をしてきたのですか?」
「はい。さっきまで有紗と居たのですよ。修学旅行に持っていく物の買い出しです」
「そうでしたか。まぁ、もう明後日ですからね」


先生に手を引かれ家の中に入る。

相変わらず家の中は綺麗に整頓されていた。



「あ、先生お仕事中でしたか…」

机の上に広がる数学の教科書とノート。
その上に、お揃いの複合ペンと蛍光ペンが置いてある。


「暇だったので板書用のノートを作成していただけです。黒板に書くとき適当に書いているように見えるかもしれませんが、事前に色々と考えているのですよ」
「どこに何を書くか…とかですか?」
「そうです。特に数学は図形やグラフを書くことも多いですから。適当に書くと黒板が滅茶苦茶になってしまい、生徒が分かりにくくなります」
「…色々と考えているのですね」
「教師ですから。これは他の科目の先生も皆さん同じだと思われます」


ソファに座るよう私に促し、先生はキッチンの方に向かう。


「僕、生物の先生の板書に感動します」
「生物? 何故ですか」
「たまに生徒が消し忘れて、前の授業の板書が残っていることがありますが、細胞分裂の流れを絵で左から右に描いているのを見たときは感動しました。それ以外にも、微生物を描いていたこともありました。あれは…クオリティが高いです」
「…確かに、あれ見る分には凄く良いんですけどね、板書を写す私たちからしたら微妙ですよ。書き写せません」
「それは問題ですね」


マグカップを2個持って戻ってきて、私の前に置いてくれた。

「どうぞ。普通のミルクティーです」

普通と言う言葉が面白い。つい、弄ってみたくなる。

「裕哉さんの普通は一般的な普通とは違うかも知れません」
「……そんなこと言っていたら、襲いますよ」
「いつも言っているではありませんか。裕哉さんなら良いですよって」

そう答えると、先生は笑いだした。
釣られて私も笑いが込み上げてくる。


「面白いですね」
「面白いです」


いただきますと言ってマグカップに口を付ける。
中身は本当に普通のミルクティーだった。


「そう言えば、裕哉さんに渡したい物があります」
「何でしょうか」


袋からさっき買った『焼き鳥コーラ』と『めんたいコーラ』を取り出した。


「これ、見つけたので買ってきました。裕哉さんに飲んで欲しいと思いまして」
「え、焼き鳥に明太子ですか………想像を絶します」
「初見ですか?」
「はい。初めて見ました。いや…味の想像がつきませんね。ちょっと、飲んでみますか」


小さなグラスを2個持って来てくれた。

まずは『焼き鳥コーラ』を飲んでみる。


「匂いは…普通のコーラですね」
「そうですね」
「……いただきます」

先生が先に一口。


「…………」
「どうですか?」
「……真帆さん」
「?」
「これ、美味しいです。本当に」


先生の目がキラキラし始めた。
無邪気な笑顔が可愛い。


「真帆さんも飲んでみて下さい」
「裕哉さんの味覚は信用なりませんからねぇ〜…」
「なんて失礼なことを…」


そう言いながら私も一口飲んでみる。



…………なるほど。




「どうですか、真帆さん。美味しくないですか?」


なんと言うか。

香ばしい濃い目のコーラというか。
甘いというか。

でも意外とスッキリさもある。



「…真帆さん?」
「………私は、バツです」
「えぇ~…。それだとまた僕だけおかしい人になるではありませんか」



そう言いながらもう1杯飲む先生。

「………美味しいのに」

私の口には合わないけれど、先生が美味しく飲んでくれるならこれに越したことはない。




次は『めんたいコーラ』に手を伸ばす。

「明太子カラーですね」
「赤々としています」



早速、先生が一口飲む。

……そして、すぐに噎せた。


「ぎゃ、裕哉さん大丈夫ですか!?」
「ゴホッ………これは、甘さよりも辛さの方が勝っています」


やっぱり明太子だから辛いのか…。
そう思い原材料を見ると、普通に唐辛子が入っているようだ。

「甘いと思って飲むと失敗します…」

涙目になっている先生を見つめながら、私も一口飲んでみる。


…確かに、辛い。

けれど、それ以上に甘さ控えめでこちらは飲みやすい。


………。

何だろう、この癖になる感じ。



私のグラスはあっという間に空になった。




「…真帆さん、いきますね…」
「これ、美味しいです。辛さがやみつきになります」
「えぇ………」

ドン引きしているような先生の顔。
先生の珍しいその表情に、笑いが零れた。

「…裕哉さんにその顔されるのは癪です」
「真帆さんも充分味覚がおかしいですよ」
「私は普通です」

お互い譲らない主張に、終わりが見えなかった。




その後、先生は『焼き鳥コーラ』について、例の怪しい小さなノートに記入し始めた。

「これはリピート有りです。書くに値します。真帆さん、ありがとうございました」
「いえいえ、すぐそこで期間限定販売していますから。今度見に行かれて下さい。他にも色々ありました」
「そうなのですね。ちょっと大人買いを検討します」

そんなことを真顔で言うのが本当に面白い。




「そう言えば、真帆さん。夕食は食べましたか?」
「いえ、まだです。もうすぐ帰るつもりですから」
「…そうですか」


先生は首を傾げながら何かを考え、言葉を継いだ。


「……今日、カレーを作りました。宜しければ、食べて帰られませんか」

え、先生の作ったカレー…!?
そんなの、断る理由なんて無い。


「是非、お願いします」
「……良かった…。断れるかと思いました」
「何故ですか。断る理由なんてありません」
「味覚がおかしいと言われますから」
「…あ、そういうこと?」

飲み物に関してはおかしいけれど、食事は大丈夫だと思っている。
私が作ったお弁当を美味しいと食べてくれたし、外食する際も味の好みはほぼ同じだから。


「では、用意をしますね」
「私も手伝います」
「ふふ、ありがとうございます」


2人でキッチンに並んで食事の用意をする。
それが何だかとても新鮮で、思わず口元が緩んでしまう。



先生はカレーライスの他に、サラダとオニオンスープを用意してくれた。


「どうぞ、お召し上がり下さい」
「ありがとうございます。いただきます」



凄く美味しそう。

……なんだけど、1つ気になる点がある。




カレーの具材……滅茶苦茶大きい。


じゃがいもは2分の1。
人参は…厚めの輪切り…かな。


スプーンからはみ出るサイズ感。

何だろう。
こんな斬新なカレー、初めて見た。


「…あ、真帆さん。僕1人だと、いつもそのサイズ感で野菜を切るのです。大きすぎるかと思いますので、小さくして下さい。すみません」
「…分かりました」



小さく切った方が火の通りも早く良いんじゃないかな、とか思いながら、大きいじゃがいもをスプーンで更に4つに割る。


こんなにも大きいじゃがいもなのに、中心までしっかりと火が通っていてホクホクだった。



「……何だか、この大きなじゃがいもすら、愛おしいです…」
「…………何を言っているのですか」



にやけながらそう言う先生は、耳まで赤くしていた。





先生の作るカレーは甘口のようで、辛味は一切無い。
それなのに先生は、はちみつを掛けていた。

「これを掛けると甘くなります」



……充分甘いけれども。




さっきの『めんたいコーラ』の時にも思ったけど、先生は辛いのが苦手なのかもしれない。



< 72 / 95 >

この作品をシェア

pagetop