完璧主義な貴方の恋のお相手は、世話が焼けるくらいがちょうどいいでしょう?
 馬車の揺れをいつも以上に感じる。ふわふわと、何もかもが夢見心地だった。

「……眠っていてもいいですよ」

 閉じ掛ける瞼に必死に抵抗していると、リチャードがいつになく優しく声を掛けた。

 ーーその後、何度か夢を見た気がする。

 アランが私を愛していると言ったこと。リチャードが、私を抱き抱えるようにしてベッドへ運んでくれたこと……。

「……!」

 どこまでが夢だったのだろう、シェリーは慌てた様子で飛び起きた。きつく閉めてたコルセットは外れている。いつの間にかドレスも着替えさせられていた。

 髪飾りは丁寧に外され、櫛も通してもらったようだ。サラサラとした手触り、毎晩欠かさず塗るようにと渡されたボディクリームの香りもする。   

 恐らくリチャード監修の元、私はすっかり身綺麗にしてもらったようだった。

 外はすっかり明るくなっていた。晩餐会や舞踏会の翌日は朝寝坊しても咎められない。いつもならこれを特権のよう思えるのだが、今日はなんだか寂しく思えた。

(誰か起こしてくれたらよかったのに……)

 そう思って、すぐに頭に浮かんだのはリチャードだった。

 昨夜は恥ずかしい所をたくさん見られてしまったと思う。断片的だが、ほとんどの記憶が残っている。いっそ忘れてしまえたら楽だったのに。
 
 アルコールの入ったフルーツパンチは、以前どこかの舞踏会でナタリーとこっそり飲んだことがある。あの時は、ただ頭の中がふわふわして楽しいばかりだった。

 それなのに、昨夜はなんだかずっと泣きたくて仕方がなかった。子ども扱いしないで、と駄々をこねて散々リチャードを振り回してしまった。

 それがまさしく、子どものすることではないかと、シェリーは頭を抱えた。

 枕元には水差しとコップが用意されていた。少し喉を潤していると、見計らったようにドアをノックする音がした。

「シェリー様、お身体の具合はどうです?」

 声の主はテレサだった。一瞬リチャードかもしれないと思ったから、心臓が爆発しそうになっていた。
 
 胸を押さえて息を整えながら、シェリーはやっとのことで答えた。

「テレサ、もう平気よ。……私、随分と眠っていたのね」

「ええ、気持ちよさそうに眠っていらっしゃいましたよ。この所、緊張してあまり眠れていなかっただろうから、ってリチャードさんが……ゆっくりお休みできたようなら安心です」

 目を覚ましたこと、伝えておきますね。と、テレサは無邪気に笑った。

「リチャードさん、一度シェリー様のご様子を見にいらしたんですよ。……お夕食は食べられそうですか? 良かったらお部屋までお持ちします」

「もうそんな時間だったの? ……ありがとう。でも、あんまりお腹がすいてないの」

「わかりました」

 テレサは枕元の水差しに、たっぷりと丁寧に水を継ぎ足す。

「多分、後でリチャードさんも様子を見にくると思います。ずっとシェリー様のことを気に掛けていましたから」

 テレサはそう言って微笑むと、「ゆっくり休んでください」と、部屋を出て行ってしまった。また、静寂が訪れる。

 シェリーは枕元の本を手に取って、パラパラとページを捲ってみたりしたが、内容なんてちっとも頭に入ってこない。

(……アランが、私を愛している)

 返事は長く待てないかも、と冗談めかして笑っていたが、彼の手は震えていた。

 それを見て、シェリーはますます何も言えなくなってしまった。大好きなアラン、失いたくない大切な友だ。

 いっそ、アランの気持ちに応えようとも考えた。家柄も申し分ない、父もきっと喜んでくれるだろう。それに、彼は"本当の私"を知っている。まさに、理想の結婚相手といえる。

(そんなの、アランに失礼だわ)

 シェリーは深く溜息を吐いた。

 そもそも、恋愛というものをしたことがない。だから、アランの気持ちにも気付けなかった。
 
(これだから、いつまでたってもお子様扱いなのよね)

 そんなことを考えては、ぐるぐると自己嫌悪に陥るばかりだ。

 ああ、そうだ。オリビアはどうしてアーチボルト伯爵と結婚しようと思ったのだろうか。

 オリビアとシェリーはなんでも話す仲良し姉妹だったのに、彼とのことはあまり話してくれなかった。と、いうよりも結婚までの話が着々と進んで姉妹水入らずで話すことが少なくなっていたのだ。

 オリビアは妹のシェリーから見ても賢くて強い女性だった、家柄や容姿だけでは簡単には靡かない。

『私、結婚するの』

 そう言って幸せそうに微笑むオリビアの顔を思い出す。見ているだけでほっこりと温かい気持ちにさせてくれる、二人はシェリーにとっても憧れの恋人同士だった。

 あんな風に、愛し愛されたら……こんな幸せなことはないだろう。大人になったら、自然と気持ちが追いつくものだと思っていたのに。


(そういえば、この前町で会った男性は素敵な方だったわ。でも、あの方はナタリーのいう"目の保養"に過ぎないし、初恋とも呼べないだろう。それに、少し軽薄そうだった。名前は確か……)

「あらやだ、お名前を忘れてしまったわ」

 彼の華やかな見た目はしっかり思い出せるのに、名前の最初の文字も思い出せそうにもない。

『他にもいるだろうが』

 なぜか少し不機嫌そうなリチャードの顔を思い出す。

(誰かいたかしら……?)

 
 シェリーはふと、思い立ったようにベッドから降りると、鍵の掛かった小箱からお気に入りの便箋を取り出した。

 そうして再びベッドに戻ると、今度はクッションを抱きながら文章を練った。

 姉に手紙を書くのは初めてかもしれない。なんだか妙に照れ臭くて、書き出しから躓いてしまう。

 ーーまずは、お元気ですか、と……。
 
 どうやって切り出すべきか、これで聞きたいことは伝わるのかとしばらく唸っていると、再び扉を叩く音がした。ふと顔を上げると、いつの間にか日が落ちて夜になっていた。

「はーい」

 テレサだと思ってすっかり油断していたシェリーだったが、ゆっくりと空いた扉の向こうに立っていたのはリチャードだった。
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