完璧主義な貴方の恋のお相手は、世話が焼けるくらいがちょうどいいでしょう?
「リチャード……」

 思わず声が上擦ってしまう。リチャードそれに気付いた様子でふっと悪戯っぽく笑った。

「お夕食は召し上がらないとのことでしたので……」

 叱りに来た訳ではありませんよ、と言ってリチャードがカップを差し出した。

 それはホットチョコレートだった。ふんわりと、甘くていい香りが漂ってくる。

「わぁ、いい香り……! ホットチョコレート大好き、ありがとう」

 熱いですから、気を付けて。そう言ってカップを手渡すリチャードは制服を着ているものの前髪は下ろしたままだった。

 そういえば、リチャードも今日は休みをもらっていたはずだ。

「少しはゆっくり休めました?」

 リチャードはそのことについては何も触れずに、ただシェリーのことだけを心配してくれる。それがとても居た堪れなかった。

「リチャードもお休みだったはずでしょう。ありがとう、それから昨夜のことも……。本当にごめんなさい。迷惑ばかり掛けて……」

「そんな顔しないでください。お嬢様らしくもない」

 リチャードがいつも通りに意地悪そうな顔で笑ったのを見て、シェリーの心は少しだけ軽くなった。顔を合わせるのも気まずくなっていたらと心配していたからだ。

「あれくらいで迷惑だなんて思いませんよ。大暴れして何かを壊したわけでもなし、酔っ払うお嬢様も可愛らしかったです。……ですが、他の男性の前ではダメですよ。あれは、その……色々と危ない」

 リチャードはそう言って言葉尻を少し濁した。

 もっとこっぴどく叱られるかもしれないと思っていたシェリーは少し面食らったが、お咎めなしで安心した。

「もうしばらくお酒はいいわ……」

 これは心の底からの本心だった。フルーツパンチには手を出さない、しばらくは。

「ええ、そうしてください。それで昨夜は……何かあったんですか?」

「……どうしてわかるの?」

 シェリーが驚いていると、リチャードは困ったような顔をして笑った。

「どうしてって……わかりますよ、どれほどお嬢様のことを見てきたと思ってるんですか。貴方の顔を見れば、何かあったことくらいすぐにわかります」

 リチャードはそう言って、真っ直ぐにシェリーを見つめた。

 シェリーは慌てて視線を逸らした。言葉以上に自分の気持ちを見透かされているようで怖くなったからだ。

 少し黙って、シェリーは重い口を開いた。
 
「……アランが私を愛してるって」

 なんでもないと誤魔化してしまうつもりだった。それでも、とうとう打ち明けてしまった。

「ほお」

 リチャードの反応は驚くほど薄いものだった。

「……なんだか、あまり驚いてないのね」

 リチャードはしれっとした顔で答えた。

「まぁ、気付いていましたから。なんとなく」

 アランがシェリーを思う気持ちには気付いていたが、まさかこんなに早く愛の告白をするとは思わなかった。

(体を鍛えていたのはこの為か……)

 アランの細いだけだった体が、祖母の家から戻った途端にがっしりとした体格になっていたことにも気付いていた。社交界シーズンに向けて仕上げているのだろうとにも薄々勘付いてはいた。

「それで……結婚相手に、自分は相応しくないかって」

「そうですか……」

 彼はきっと焦っていたのだろう。自分だけしか知らないと思っていた美しい彼女だったのに、社交かデビューが決まれば彼女の素晴らしさを誰もが知ることになる。彼女は外の世界に出ることでますます磨きが掛かり、より美しくなる。

 それはきっと想像より早く、手遅れになったらどうにもできない。

「それで、お嬢様はなんとお答えしたんです?」

「……何も答えられなかった。アランのことは愛してるけど、それはナタリーを愛していることと同じことなの。彼は大切な友だち」

 シェリーはそう言って、少し俯いた。

「……どうしたらいいか、わからないわ。返事はあまり待てないと、アランは冗談めかして言っていたけど、その気持ちも分かるもの」

 リチャードはそれを聞いて苦笑した。

 確かに、早く返事が欲しい気持ちも分かる。"返事はいつでも待つよ"と、言えなかったのは、彼がまだ若いせいだろうか。何もかもをすっ飛ばして、結婚の話を持ち出すくらいなのだから。

「今の気持ちをそのまま伝えてみてはどうですか?」

「今の気持ち?」

「シェリー様だって、本当はもっとじっくりと向き合いたいのでしょう。決断を誤ればもっと悲惨です。待ってほしいなら、待ってほしいと言った方がいい」

 友人同士からって、恋愛も上手くいくとは限らない。リチャードは呟くように言うと、またシェリーの目を真っ直ぐに見つめた。

「待ってもらっても、答えはきっと同じになってしまうわ。……私はずっと友だちのままでいたかった、そう思うのはひどいことなのかしら」

「……そんなことはありませんよ」

 そんな気持ちは、リチャードにも覚えがあった。まだ思い出しては胸が痛む。

「そうだ、念の為に……今後、アラン様がお友達から恋人になることはないのですか?」

「ええ、やっぱり彼は友達だわ」

 ーーなるほど、こうも断言されてしまうとアランに少し同情してしまう。

 一時とはいえ、リチャードはアランのことを結婚相手の最有力候補として考えていたことがある。アランは何においても完璧で、本来なら残念に思うべきなのかもしれない。
 しかし、シェリーの迷いのなおい答えを聞いて少しホッとしている自分もいる。なんとも言えない複雑な気持ちを抱いていることに気付き、リチャードは戸惑っていた。
 
「ねぇ、リチャード。貴方は恋をしたことある?」

 エメラルドグリーンの瞳を潤ませながら、シェリーはリチャードの瞳をじっと見つめている。

 こちらから彼女を見ることはあっても(監視、と言う名目で)、逆に見られるということには滅多に無いので思わずドキッとしてしまう。

「なんです、急に……」

 昨夜の華やかな化粧をすっかり落とし、いつも通りのあどけない表情が顔を出す。

「少し気になったの、聞かせて」

 真剣な眼差しに、リチャードも仕方なく過去の記憶を必死に頭の中で巡らせる。

 思えば、恋をしていたかどうかなんて考えたこともなかった。

(あの時だって、そうだったんだ)
 
「私は……」
 
 ーーいや、あれはきっと"恋"ではなかった。
 
「ごめんなさい、変なことを聞いたわね」

 シェリーのあくびまじりの声に、ふっと現実へと引き戻された。

「アランには正直に気持ちを伝えることにするわ」

 アランに気持ちを打ち明けられたとき、考えていたのはこの先のことではなく、どうしたらこれまでと同じ関係でいられるかどうかだった。それがきっと、"答え"なのだと思う。

 上手く伝えられる自信はないし、これまでと同じような友だちではいられなくなるかもしれない。

 それでも、今の気持ちを伝えるべきだと思った。

 リチャードと話しているうちに、心が整理され、モヤモヤが晴れていくようだった。

「……このホットチョコレート、いつもと少し違うのね。とても美味しいわ、ありがとう」

 いつものホットチョコレートにはない、スパイスの香りが口いっぱいに広がった。甘さがぐっと際立つその格別な美味しさにシェリーは目を丸くした。

「ええ、それは特別なレシピなんです」

 リチャードはよく気付いてくれたと言わんばかりに嬉しそうに、誇らしげに笑った。

「特別?じゃあ、貴方が作ってくれたの? 」

 いつもの、とは眠れない夜にテレサが作ってくれるホットチョコレートのことである。昔からずっと変わらない、シンプルで優しい味だ。

「ええ、シェリー様が元気になるように」

 今夜のリチャードは別人のように優しい。昨夜のことを気遣ってくれているのかもしれない。

「……今日はなんだか優しいのね」

 いつもこのくらい優しかったらいいのに、と心の中でそっと付け足す。

「そうですか? いつも通りです」

 リチャードはそう言って首を傾げた。でも、その口元は少し笑っているようにも見える。

「さぁ、それを飲んだらしっかり休んでください。昨夜たっぷり眠ったからといって今夜は寝なくてもいいわけじゃありませんからね」

 またいつも通り口うるさいリチャードに戻ってしまった。

「色々とありがとう。おやすみなさい、リチャード」

「おやすみなさい、お嬢様」

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