恋愛下手の恋模様

背中を押されて


「終わった……」

決算業務は山場を超え、私の担当分も一段落がついた。あともう少しだけ、と残業をこなす。ようやく退社できる状態になってデスク周りを片づけていたら、私を呼ぶ課長の声が飛んできた。

「岡野さ~ん!」

「はいっ!」

私は席を立って課長のもとへ急いだ。

「何か不備がありましたでしょうか」

「あぁ、いや。そうじゃないんだ。もう帰るって時に悪いんだけど、ちょっと頼んでいいかな」

「はい」

「これ、資料室に戻しておいてくれない?終わったら、そのまま帰っていいから」

見ると課長のデスク脇に、ファイルを入れた段ボール箱がひとつ置かれていた。台車を使うまでもなさそうだ。

「承知しました」  

私は箱をよいしょと持ち上げた。

「それでは、これを戻したら、そのまま帰らせていただきます」

「悪いね。助かるよ。お疲れ様」

「お疲れ様でした」

私は課長に挨拶をすると、デスクの引き出しに鍵をかけてから「倉庫」に向かった。誰もいない廊下を歩きながら、遼子さんの退職前にあった「倉庫」での出来事がふと思い出されて、私は苦笑した。

そう言えば補佐への気持ちに気づき始めた頃の事件だったな――。

その「倉庫」は、相変わらずひっそりとしていた。「しん」という音が聞こえそうだ。

その奥の資料室前で、段ボール箱をいったん床に下ろして、私は首にぶら下げた社員証を入り口のセンサーに近づけた。この先は重要書類を保管している場所でもあるから、入室管理がされている。カチッとロックが解除された音を確認して、私は箱を持って部屋の中に入った。

天井に届くくらいの高さのキャビネットが、等間隔に並んでいる。端っこにあるちょっとした作業台に箱をいったん置いて、私は数冊ずつファイルを抱えながら戻すべき場所を探す。要所要所に貼られたラベルを確認しながらだから、簡単だ。それを何回か繰り返して、その作業はたいして時間もかからずに終わった。

「さて、帰ろうかな」

空になった箱は、ひとまず隣の倉庫にでも置いておこう。

そう思って箱に手をかけた時、誰かが資料室のドアを開けたのが分かった。

「あれ?電気がついていますね」

私ははっとした。

宍戸の声――。

それにすぐ続いて聞こえた声に、私はどきりとした。

「誰かいるんじゃないのか」

そんな必要はどこにもないのに、その声を耳にした途端、私はキャビネットの影に隠れた。

山中補佐も一緒だ――。

「誰かいるんなら顔を出すんじゃないですか。消し忘れかなんかですかね」

「とりあえず、まずは探そうか」

「はい。えぇと、俺は去年の四月から見てみます」

「あぁ」

今さら出て行くのはためらわれる。二人の短いやり取りを聞きながら、私は息をひそめてその場にじっとしていた。ここはいちばん奥まった場所だから、二人には気づかれないだろう。

「ありました。これでしょうか」

しばらくたって、入り口に比較的近い方のキャビネットの辺りで宍戸の声がした。

「ちょっと見せて。あぁ、うん、これだ。あとは……」

すぐ近くに補佐がいるーー。

そう思ったら、胸の奥がきゅっと苦しくなった。
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