繊細な早坂さんは楽しむことを知らない
「傷ついてないよ。俺のために泣いてくれる人がいるんだって、驚いてるだけだ」

 震える唇に、彼のひんやりとした指が触れる。

「キスしたいけど、こんなたくさん人のいるところでしたら、ますます泣いちゃいそうだね」
「キ……」

 驚いてまばたきをすると、最後の涙がこぼれ落ちて、おかしそうに笑う秋也と目が合う。奈江の涙を乾かそうと言った冗談だったのだろう。

「手放そうか、遥希への嫉妬を」

 神妙になって、彼は言う。

「新しい縁をつかむために必要だと思います」

 奈江も冷静になって、そう言う。

「早坂さんは?」
「私?」
「そう。俺っていう、新しい縁をつかむ気はあるか?」

 えっ。声にならない声を発して、薄く唇を開く。

「付き合いたい。ずっとそう思ってた。すぐに返事がもらえないことはわかってるから、ゆっくり考えてほしい」
「……あの、私」
「ん?」

 優しく目をのぞき込んでくる秋也にどきっとして、奈江は思わず目をそらす。

 彼が落胆したようにため息をついたのがわかる。こういう性格なんだって、わかってくれてる彼を悲しませたりして情けない。だけど、どうしようもない。

 奈江は戸惑いながら、さっきよりも長くなっている列へと目を移す。

「猪川さん、並びませんか?」
「縁結びの札、もらう気になった?」

 思い切り、話をそらしたのに、愉快そうに秋也は言う。気の長い彼に、どれほど救われているだろう。

「はい。猪川さんと末永いご縁がありますようにって、お願いしようと思います」
「それ、どういう意味かわかってる?」

 あきれながらもうれしそうな笑みを浮かべる彼は、列へと導くように奈江の手を引いた。




【第二話 完】
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