Runaway Love
 野口くんと別れ、ロッカールームで、さっと髪を拭き、上着を着替える。
 今日は、ロッカーに貼り紙は無かった。
 あたしの方が早かったせいか、それとも、やめたのか。
 濡れたものをビニール袋に入れて、ロッカー奥に入れる。
 家に帰ったら、すぐに洗濯だ。
 あたしは、すぐに支度を終えると、五階まで向かう。
 部屋は既に、野口くんが開けていてくれたので、そのまま入った。
「大丈夫ですか?」
「ええ。まあ、まだ、ちょっと髪は湿ってるみたいだけど、服は無事よ」
 ホラ、と、上着を開けてみせると、野口くんは固まった。
「……野口くん?」
「……あの……それ、無意識ですか」
「え?」
「――ですよね」
 あたしがキョトンとしていると、野口くんはあたしの前に来て、すぐに上着の前を閉める。
「――仮にも、男の前で、服脱ぐそぶりとか、やめましょう」
「え、あ……そんなつもりじゃ……」
 すると、彼は更にあたしの髪に触れた。
 後ろに一つで束ねているゴムを、そっと外す。
「の、野口くん?」
「――まだ、濡れてますよ」
「え、あ、でも暑いし、すぐに乾くでしょ」
 あたしは、苦笑いしながら、流れていく髪を手でまとめる。
 けれど、その手は、野口くんに押さえられた。
「――そう言って、この前も風邪ひいたんじゃないですか」
「え」
 あれ?――このコ、何で、あたしが風邪の時、髪濡れてたとか……。
 野口くんは、そっと、あたしの髪を撫でると、顔を寄せて囁いた。

「――気づきますよ。毎日見てるんですから」

 ――瞬間、体の奥が、ズクリ、と、うずいた。

「のっ……野口くんっ……!」

 あたしは、左耳を押さえて、彼を見上げる。
 真っ赤になった顔は、そのままに。
「――ま、また、悪いクセ出てるわよっ……!」
 すると、彼は、あっさりと反論する。
「今は、”彼女”のあなたに言ったんですが」
「――……っ……」
 いや、確かに、大事な(ひと)には、ちゃんと言った方が良いとは言ったけど!
 野口くんは、あたしをのぞき込んで続けた。
「顔、赤いですよ」
「だ、だってっ……!」

 ――そんな、低い声で、耳元で、あんな事言うからっ……。

 そう続けようとして、固まった。

 ――ヤダ、これじゃあ、野口くんの事、意識してるみたいじゃない。

 野口くんは、あたしの言葉を待っていたが、スッと離れていく。
「――すみません。……嫌でしたか」
 少しだけ寂しそうに言う彼に、あたしは首を振った。
「ち、違うのっ……!……ただ……ごめんなさい。耳元で言うの、止めてくれないかしら」
 そう言って耳を押さえて見上げると、野口くんは、固まった。
「――……え、っと……。――……すみません……」
 彼の方が、顔が赤いような気がしたのは、気のせいだろう。
 二人、ぎこちなく席に着くと、パソコンを立ち上げる。
 それを待っている間、あたしは、デスクの向こうの野口くんを見やると、彼は口を押さえながら、ひとり言をつぶやいているようだ。

 ――何を言っているのかまでは、聞こえなかったけれど。
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