Runaway Love

23

「杉崎主任、コレ、どうしたら良いですかー?」

 全員で、それぞれの仕事をこなしていると、不意に隣から外山さんがそう尋ねてきて、あたしは顔を上げた。
「どうしたの?」
 彼女は、領収証の山の中から、一枚、あたしに見せてきた。

 ――宛名、”上様”、但書、”品代”。

「……だいぶ前に、こういう書き方やめるように通達出たのに……。見てないのかしら?」
 あたしは、ため息交じりにそれを受け取り、ボヤきながら見やる。
 今、宛名は基本、”オオムラ食品工業、部署、氏名”で記入してもらっているのだ。
 じゃないと、誰が何を買ってきたのか、いちいち確認しなきゃいけないからだし、不正の温床にもなり得る。
「外山さん、こういうのは受け取らないの。ちゃんと名前と商品名とか、書いてもらって」
「すみません、よく確認してなくて……。混ざってたのに、気がつかなかったです……」
「――それ、どこからのヤツ?」
「……営業部です……」
 小さくなりながら、外山さんは言う。
 あたしは、苦々しく舌打ちをしたくなったのを、何とかこらえた。
「わかった。――直接行った方が早いわ。大野さん」
 立ち上がって声をかけると、大野さんは、パソコンをにらみながら、手を振る。
「任せた。まあ、殴り込みはしないようにな」
「……しませんよ」
 ふてくされて返すのは、経験があるからだ。
 あたしは、部屋を出ると、三階までエレベーターで降りる。
 二階分しかないから、若ければ階段だったけれど、今のあたしに、その選択肢は無い。
 五階とは違う、騒がしい雰囲気に一瞬怖気づくが、気を取り直し、部屋に入った。
「失礼します。経理部ですが、少々確認してもよろしいでしょうか」
 少し大きめに声を張り上げ、部屋に残っている人間を見回した。
「今日受け取りの領収証で、申請者不明の不備がありました。心当たりの方、いらっしゃいますか」
 すると、榎本部長が慌ててやって来る。
 少々怯えているように見えるのは、気のせいだろう。
「す、杉崎くん、どれの事だ、それは!」
 あたしが、持っていた領収証を見せると、部長は発行元を見て少し考え、首を振った。
「コレ、ウチの連中が回ってるトコじゃないなぁ」
「でも、こちらとしても、詳細がわからない以上、受け取る訳にはいきませんので」
 榎本部長は、腕を組み、口を閉じる。
 何かを考え込んでいるようで、あたしは少し待つ事にした。
「あ、おい!早川が、この前新しく契約取った会社(トコ)の名前って、星野――」
 すると、部長はそう、残っている人間に声をかける。
 会社名は、うろ覚えだったらしく、途中で止まると、
「ああ、星野商店ですかね。卸売の」
 近くの社員にそう返され、あたしと部長は顔を合わせた。
 領収証の発行元は、そこなのだ。
「――早川主任に確認します」
「悪かったな!オレからも言っておくなぁ!」
 あたしはうなづいて、頭を下げ、部屋を後にする。
 日付は昨日、金額は五千八百円。
 まあまあの金額に、頭を悩ませる。
 大体、契約先から何を買ったというのだ。
 ここは、卸売の問屋じゃないのか。
 他のデパートやら、ホームセンターやらなら、わからないでもないが。
 あたしは、経理部の部屋に戻ると、早川の営業用電話番号にかける。
 八コール目でようやく出た。ラジオらしき声が聞こえるので、車に乗っていたのだろう。
「お疲れ様です」
『――杉崎、どうした?』
 声でわかったのか、早川は尋ねる。
「車、停めてるんでしょうね」
『当たり前だろうが。捕まったらアウトだろ』
 早川は、あたしが領収証の件を伝えると、ああ、と、思い当たったらしい。
『悪い、それ、落書きだったんだよ』
「は?」
『向こうさんと話してたら、昔の話題になって。ちょうど、領収証持ってたから、こんなのもあったよな、って、書いてくれて』
「――……アンタねぇ……」
 ――あたしの労力を返せ。
 大体、落書きに領収証を使うな。乗った向こうの営業も、大丈夫か。
『悪い。もし、面倒じゃなきゃ、星野さんのトコの営業さんに引き取ってもらおうか』
「そうしてくれない?ウチで処分する訳にもいかないから」
 のんきな口調で返す早川にイラつきながら、あたしはうなづく。
 こんなもの、手元に置きたくもない。
『了解。連絡がつくなら、山本さんて男性の方がウチの担当になったから、向かってもらうようにする』

 瞬間、受話器を取り落としてしまった。

『――おい、杉崎?』

 あたしは、すぐに我に返ると、受話器を持ち直し、了承した。
『じゃあ、ウチの受付の方に連絡入れておくから。山本さんにも、お前の名前伝えておくぞ』
「え、あ――……」
 こちらの返事も聞かず、早川は電話を切った。
「おい、杉崎、大丈夫か?」
「あ、すみません。――さっきの領収証、早川の新規取引先で、何かの話の流れで書いた、落書きだったそうで……」
「はぁ⁉何だ、そりゃ。紛れ込んだってのか」
「……みたいです」
 大野さんは、あきれたように、一体何やってんだよ、と、ボヤきながらうなづいた。
「先方の営業の方に連絡して、引き取りに来てもらうようにするそうです。あたしが向かいますので」
「わかった、頼む」
 あたしは、うなづいて、引き出しから社名の入った封筒を取り出した。
 そこに領収証を入れると、口を折るだけにする。

 そして、無意識のうちに大きく息を吐く。

 ――”山本”。

 ううん、よくある名字だ。

 ――……そう、自分に言い聞かせた。
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