Runaway Love
 ひとまず、午前中は、それ以外に支障は無く、平常通りに処理は終了した。
 午後からは、大野さんの仕事の一部に手をつけなければならない。
 社食に向かおうと立ち上がり、ふと、いつものランチバッグが無い事に気がつく。
 貴重品バッグと一緒に持って来たつもりだったのに、朝、バタバタしていたせいか、忘れてきたらしい。
「杉崎主任?」
 固まっていたあたしに気づき、部屋を出ようとしていた野口くんが振り返った。
「あ、ごめんなさい。お弁当、ロッカーに置いてきたみたい。取って来るから、先に行ってて」
「――一緒に行きましょうか?」
「ううん、良いわよ。席、取っておいて」
 渋々うなづく野口くんを、なだめるように先に社食に向かわせると、あたしは一人、ロッカールームに向かった。
 すると、あたしが使っている第一ロッカールームに、人の気配がしたようなので、一応、ノックしてドアを開け――固まった。

「――……あ、の……?」

 一人の女性社員が、ロッカーの前で、何かをしていた。

 ――ただし、そこは、あたしのロッカー。

 彼女は、手に持っていた紙を握りしめ、あたしをにらみ付けた。
 細身で、あたしより頭一つ高い身長。
 彼女の社員証はポケットの中にしまわれて、どこの部署かも、誰なのかもわからない。
 ――キレイに作り上げた顔に、見覚えが無いのは確か。
 たぶん、あんまり接点が無い部署だろう。
 あたしは、その彼女に尋ねた。
「――……何、してるんですか。そこ、あたしのロッカーだと思うんですけど」
 あくまで冷静に。
 すると、そのまま、彼女はあたしの前にやって来たと思ったら、不意に左頬が熱くなった。

 ――……え?

 あたしは、ぼう然と、彼女を見る。

 ――……殴られた……?

 真っ赤になって、あたしをにらむ彼女は、そのまま叫んだ。
「何で、アンタなのよっ……!!」
 泣き出しそうな、悲鳴のような声。
 相手が取り乱している分、こちらは冷静になれた。
「――何が、ですか……!」
 あたしが、何をしたって言うの。
 そう続けようとしたが、彼女の方が先に続けた。

「何で、早川さんは、こんな地味な女がっ……!!」

 よく見れば、ロッカーの扉はへこんでいる。所々、切り傷もついているようだ。今までの嫌がらせは、この女だったのか。

「――それで、嫌がらせですか。子供でもしないような。――恥ずかしくないんですか」
 痛む頬を押さえながら、あたしはそう言って、にらみ返す。
 だが、彼女は聞く耳を持っていなかった。

「うるさい!二股かけてるような女に、言われたくない!」

 言いながら、再び、手を振り下ろそうとしたので、あたしは反射的に顔を左手でかばう。
 ――二度は叩かれてなんて、やらないんだから!

 だが、次に感じたのは、殴られた痛みではなく――ヒリつく痛み。

 ――……は??

 彼女を見れば、手に持っていたのは、小さいカッター。
 自分が切り付けられたと気がつき、背筋が凍る。
 そして、すぐ後から、痛みが襲ってきた。

「――……っ……!!」

 思わず、切られた左腕を押さえる。
 ジワジワと血がにじんできて、服にも染み込んできたのが、視界に入る。

 ――……うそ、でしょ。

 何で、あたし、切り付けられてんの。
 こんなの、シャレにならないじゃない。

「ア……アンタが悪いんだから!」

 そう言い捨て、彼女はあたしを置き去りにし、ロッカールームを走り出ていく。
 あたしは、追いかけるでもなく、ぼう然と、その場にへたり込んだ。
 ヒリヒリ、ズキズキと痛む頬と腕をそのままに、彼女の言った意味を考えて――徐々に腹が立ってきた。

 ――……何よ、結局、ウワサを鵜呑みにして……あたしが二股かけてるって勘違いして――……!

 あたしが、どれだけ頑張って、ウワサを消そうとしてると思ってんのよ……!!

 怒りに震えながら、どうにか立ち上がろうとすると、不意に人の気配がした。


「杉崎主任?」

「杉崎主任ー?どうかしたんですかー?」


 すると、ドアの方から声がかかる。
 野口くんと、外山さんだ。

 そう思った瞬間、外山さんの叫びが響き渡った。
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